先週の日曜にマラソン走った。
3時間6分36秒(確か)だった。
自己ベストが出てじいさんに勝ったので、良かった。
少し振り返ってみよう。
朝。6時半に起きた。
ニュースを見た。
ご飯にたまごかけて食べた。
みそ汁を飲んだ。
大福食べた。
週刊子どもニュースを見た。
お父さん役の人が、「後三回だし…。ま、がんばろうよ」と言っていた。
最近の”滝 廉太郎の眼鏡事件”などもあり、この番組からは目が離せない。
…そして、気づいたら9時前だった。
(スタート9時半)
ま、まぁ計算通りですよ。
マラソンなんて、あんまりアップしてくと最初飛ばしすぎてしまうのですよ。
焦って(!)競技場に行くと、みんないた。
りっちゃんさんとトモさんもいた。
ちょっとストレッチして、スタートへ。
どうして毎年同じ過ちを繰り返すのか?
とそろそろ思い始めたので最初はゆっくり…
と思って走った。
しかし、気づくと4分10秒とかで走っていた。
後半を上げようと思い、落とした。
勝負は30kmからだ、きっと。
10kmらへん?で応援の方々が。
毎年ありがとうございます。
最初の給水所がこの辺にあった気がする。
マラソン関係で好きな言葉は、りっちゃんさんの
「最初に飲んだ水も、後になって効いてくるから」。
17kmらへんにも、給水ポイントがあったので、
ちょっと後ろを見て、人とぶつからないように取ろうと思ったら、
すぐ後ろに見たことある人がいた。
「なに…!」と思って前を向いたら、後ろから「くへへ…」という笑い声が…。
間違いない、るいちゃんだ…。
その直後、ゆりかはむふっきーらが。
そのままるいちゃんと30kmくらいまで走った。
一緒に走ってくれる人がいるのは、ありがたいね。
(ちなみに、るいちゃんはすれ違う人たちに応援される度に「けへへ…」と笑っていた。)
”約束の30km地点”まで来たので、調子に乗ってペースを上げた。
順調に1km4分に迫るペースまで上がった。
すると…。
38km地点で「あ、これこれ♪」という感じがして、
ペースが一気に落ちた。
あ、ゆうたがいる。
と思ったら、なんか後ろに気配を感じた。
まさか…と思って後ろをむくと、るいちゃんがいた。
すーっと前へ行ってしまった。
(そういえば、去年あーみーに抜かれたのと全く同じ感じだった。)
ループに入ったら、早くも折り返して来たイカ、りっちゃんさん、みわまきが。
えびちゃんもいた。相当苦しそうだった。
T代に至っては、足がヤバそうで、歩いていた。
坂で応援してもらって(のんちゃんもいた)、
最後の1.5km。
そして競技場に入った。
10分は切れそうだから、じいさんには勝てるだろ…。
るいちゃんはもういないな…。
とか思っていたら、最後の戦いが。
背の高いイケメンが迫って来た。
なにー。速いよ。無理だよ。
でも、ここで負けたら、何か大切な物を失う気がしたので、
最後飛ばした。
イケメンに勝利した。
(ooishiは、"小さなアイデンティティー"を手に入れた。)
走り終わって、帰ってくる人の応援をした。(ビール飲みながら)
沢山の人が走っていた。
途切れること無く、ゴールへ人が走ってゆく。
なんとなく、これはすごいことだな、と思った。
ハムも書いていた。
「きっとそれぞれが、なにか目標があって、なにか約束があって、
なにかしらの問題を抱えてる。中間地点過ぎて体のどこも痛くない人なんて、きっと10人に一人位かもしれない。
でもみんなが、必死になってゴールする。 」
マラソンとか、山とかはやってるけど、どうしてなのかよく分からん。
どうしてあんな苦しいことがはやるんだろう?と思う。
(ここまでくると、冬山登山が流行ださないように祈るばかりだ。)
でも、少し分かるような気もする。
それは、苦しさを乗り越えるという所には、
そこまでに至る過程で「自分の不甲斐なさ」を感じる、
という通過点が多かれ少なかれあるということ。
そういうとき、蛇口をひねれば水が出るし、コンビニに行けば食べ物が有るし、
「”生命を維持する”ことだけ考えれば一人でも生きて行ける」
日常生活では感じられないことが、感じられるのだと思う。
同好会のみんながいるから、今年も出場したし、
いい結果が出したいと思えて、夜にジョグすることができた。
応援に励ましてもらって最後は上げられたし、
また、最後まで走れたと思う。
登山だって、みんながいなかったらあんなきついとこ、行かないよ。
せいぜい筑波山とかに行くか行かないか、だと思う。
走り終わってみわまきが見知らぬおじさんと親しげに話していた。
あとで、あの方、岩井ハーフで一緒になった人なんですよ、と言っていて、
「一緒に走った人って、同志って感じで仲良くなれるよね」
という話をした。
困難に際した時、一緒に闘ってくれる仲間がいるのは、
とてもとても、有り難いことだよね。
多分、毎日みんな、何かと一所懸命闘っているけど、
あえてわかりやすい困難に挑むことで、
そういう、有り難さみたいなものがずっとずっと意識しやすくなるんだと思う。
たぶん。