知識や経験なんかを点とすると、
それを線で結ぶということが、考える喜びになったり、感動を生むのではないだろうか。
まず、ほかの人はどうか知らないが、僕自身、
「線を引く」
ということに快感を覚える。
小学校の平行線やら直角やらを三角定規で書くのが好きだった。
ながい定規で、一気にシャッ!と線を引くのは、楽しい。
それと同じく、知識や経験が、線で結ばれるのは、この上ない喜びではないだろうか。
特に、それが遠い点同士であればあるほど、
「関係ないと思っていた点がこんな線でつながった!!」
という喜びがあるように思う。
たとえば、手品というものを考えてみよう。
ハンカチというありふれた点から
はとが出てくるという、まったくつながらないような意外な点が出てくる。
そこにサプライズという要素があり、人は心を動かされる。
そして、その次に人はその手品の「種」を明かしてほしいと欲する。
その種を教えてもらったとき、
「そうだったのか!」
という、ある種の快感を覚える。
それが、二つのかけ離れた点が線で結ばれた瞬間ではないだろうか。
そうであるとすれば、
「授業」なんていうのは点を作る作業であって、
それを線で結ぶという作業こそが、本当の意味での勉強であろう。
「賢い」という定義は難しいが、
僕のなかでは、「賢い」というのは、線の数が多く、
かつ、太いものが多い人のことを言うのではないかと思う。
そして、そういう人は、線を引くという行為のやり方と、喜びを知っている人ではないかと思う。
よく、「どれが役に立つのかなんてわからないのだから、いろんなことを経験しておけ」
などという風にいわれるが、それは、
将来どんな場所に点が来るかわからないのだから、
いろいろな場所に点や、線があれば、その、来るべき点に対応できるから、
ということではないだろうか。
そんなことを考えながら、2週間山に登ってきた。
カラスが木のほらにガラスをためるように点を増やし、
蚕が糸をつむぐように線を引いていきたい。
、とおもった。