限定された世界で生きて、その中で整合のつく考え方をだんだん自分の中で作り上げていく。あたらしい世界に触れたときに、今まで作ってきた理論が適用できずに、混乱したり、不安になったり、落ち込んだり、たまに面白がったりする。自分の今いる世界と、新しい世界の間で折り合いをつけて生きていくことを、成長と呼ぶのではないかと思う。
もちろん、説明のつかないことなんて山ほどあるわけだけどさ。それがひとつ、ひとつ、自分の理論の中に組み込まれていくことが、「分かった!」という生きる喜びになるのではないかな。
そんな中で、今まで自分がすがってきた理論が、まったく”ポンコツ”だったと分かる瞬間もあると思うんですよね。できれば改良を加えて、新しい結果と整合性がとれるように、今までの理論が生き残れるようにするわけだけど、どうしても、それを捨てなければいけないときもあると思うんです。自然にできたときはいいけれど、意識的にそれをしなければいけないとき、それは、辛いよなぁ。
そういうときには、心の中で、「おい、お前。それは違うぞ」っていう声がするんですよ。でも、それは怖くて、知らん振りするんですけど、だんだん声が大きくなって、次第に無視できなくなてくるんですよね。そこで、初めて作り直さないといけないな、と思う。
それが、成長するということではないのでしょうか。
こう思ったときに、一回しか読んだことないけど、夏目漱石の「三四郎」という小説が、名作と呼ばれている訳が、すこし分かったような気がしました。
大学に入ってから、「おい、お前。それは違うぞ」が頻繁に聞こえてきて、今も何件かが保留になっています。でもそれは、ひとつの貯金なのかもしれないですね。これからゆっくり、「じゃあ、これでどうだ?」「いや、まだ違うね」っていう問答をすればいいんですからね。
どうも書きたかったことと違うなぁ。笑
難しい。