最近、良くチャーハンを作る。
一時期、まったく料理していなかったから、
ご飯も炊いていなくて、
実家から送って来てもらったお米がぱさぱさしてしまっている。
でも、ピンチはチャンスで、
チャーハンにすると、ぱらぱらになって、うまい。
換気扇をつける。
豚とか鳥とか、適当な肉をごま油で炒めて、
冷凍のミックスベジタブルを解凍して入れる。
そして、卵ご飯を投入する。
コツ(だと勝手に思っている)は、
お椀に卵とご飯をいれて、あらかじめ混ぜておくこと。
そうすると、一粒一粒が、卵に包まれて、
ぱらぱらと美味しいチャーハンができる(のだと勝手に思っている)。
しっかり炒めて、フライパンから皿へ移す。
刻んでジップロック・コンテナに入れておいた葱をかけて、完成。
ウマイ。
換気扇を切り忘れていた事に気づいて、スイッチを切る。
パタン、と音がする。
たぶん、ダクトの弁がしまった音だ。
目には見えないけど、外界とこの部屋をつなぐ何かが、遮断される。
三連休の中日で、昨日は久しぶりに川沿いを一時間走った。
広島は川の街である。
河口の街が、大きな発展を遂げた。
今僕が住んでいる所も、元々は海だった場所だ。
不思議だなと思うのは、昔海岸線だった所に神社が多いこと。
「境界」というのは、
昔から色んなことにおいて重要な意味を持っているということだと思う。
昔、「ピーナッツ」(スヌーピーが出てくる奴)の作者が言っていた。
僕は、境界が好きだ。
海岸線は海と陸との境界線だし、
夕時は、朝と夜との境界線だ。
天気のいい日に、大きな川に沿って走るのは、本当に気持ちがいい。
途中で少し熱くなって、高校時代の陸上部の練習を思い出す。
夏、高校の近くの「ハセヤマ」という山を目指してよく走った。
往復15kmくらいのコースで、
ハセヤマに至るまでの道は、田んぼがずーっと続いていた。
遮るものは何も無く、容赦なく真夏の太陽が肌を刺した。
ある日、すごく調子のいい日に、往復の帰り道で田んぼを走っていたら、
今までとてつもなく熱かったのに、急に寒気を感じて来た。
鳥肌がたって、ぞーっとしてきた。
へぇ、こんなこともあるんだ〜、
とそのまま走って、ゴールしたら自己最高記録だった。
その時は、苦しいのと、楽しいのと気持ちいいのが混じっていたと思う。
今思えば、かなりアブナい。
その頃を境にして、「Mですね」と言われても、
にこにこ笑っていられるようになったのではないかと思う。
当然、今は春だし、そこまで追い込まないから、寒気は感じなかったけど、
そこそこ気持ちのいい疲れを感じるくらいでゴールした。
疲れたので、ゆっくり歩いて帰る。
本当に久しぶりに1時間も走ったな、と思う。
ふと気づくと、色んなものが軽くなっているような気がして来る。
走らないと、やっぱり肩が凝るし、
それに、気持ちも、なんだか固くなるような気がする。
走るまで、ハセヤマのことはおろか、
高校の陸上部のことなんて、思い出しもしなかった。
換気扇の音がする。
パタン。
蓋が閉まって、何かと何かが遮断される。
有る意味では、その方が楽なのかもしれない。
外の空気を、中に入れない方が。
でも、たぶん、そうじゃない。
少なくとも、自分が求めているものは、そうじゃないと思う。
たまには閉めて、静かに部屋でじっと本を読むのもいい。
けれども、やっぱり。
季節によって、朝や夜が、昼の空気と違うように、
自分一人だけでは知り得ない、感じられない出来事や変化、
…何かと何かの境界。
少しずつ混じり合って、移ろっていく何か。
そういうものを、ちゃんと感じて、
そして出来れば、誰かにそれを伝えたいと思う。
心を、やわらかくしていたい。
ちゃんと開ける余裕と強さを持ちたい。
それで、多少なりとも傷つく事があったとしても。
ふいに、すごく柔らかい風が吹く。
そこに、懐かしい匂いを感じる。
夏が、すぐそこまで来ているんだなぁ、と思った。