実は、原作では白雪姫は悪い魔女にだまされて、3回死んでいる。
(そして、3回生き返っている。)
昔話研究家の小澤俊夫は、Disneyは、お話を綺麗にしすぎようとして、お話の持つ、本来の意味や魅力を色あせさせてしまったと言う。
小澤は言う。物語は、子供の頃に「内なる残虐性」を克服するためにあるのだと。
確かに、Disney映画の中には、人や動物が死なないものが多い。
その方針の中には、ウォルト・ディスニーなりの、信念があったのだと思う。
しかし、2009年に公開された「カールじいさんの空飛ぶ家」では、
唯一、命を落とす人がいる。
監督のPete Docterはインタビューで語る。
「彼は、カールの"生き映し"になっています。
彼を最後にどうするか、非常に悩みました。
しかし、これはカールとエミーの物語で、彼の物語では有りません。
彼は副線であり、カールが何らかの面で死ななければならないとすれば、
副線である彼が代わりに命を落とすのです。」
これは、実はカールじいさんがある意味で"死ぬ"物語なのだ。
この映画で一番感動したシーンは、ボーイスカウトの少年ラッセルを助けるため、
家具をどんどん外に投げ捨てるシーンだった。
浮力の弱くなった風船では、そのまま家を浮かせることは出来なかったからだ。
カールじいさんは、亡くなった妻のエミーとの思い出にしがみついて生きてきた。
しかし、カール・フレデリクセンは、妻の残した「わたしの冒険ブック」を読んで、
妻がそれを望んでいなかったことを知る。
エミーとの思い出であり、エミー自身の投影である家具や絵画、そして二つの椅子を
家から投げ捨てたとき、「空飛ぶ家」は、浮き上がった。
もう一度、新しい冒険に出発するために。
この映画の一つの"肝"は、「家が浮き上がるまで」をどう描くか、というところだ。
ここがうまく行かないと、”私たち”はカールと一緒に万感の思いを込めて旅立つことができない。
この映画では、声を無くし、音楽と映像だけでそれを表現している。
「無声映画」に映画の原点がある、と考えるpixerの新しい表現手法だ。
コミカルなタッチで描かれるキャラクター同士のコミュニケーションの中に、
人生に対する深い洞察とそのメッセージが込められているという気がする。
良い映画でした。
カールじいさんの空飛ぶ家【予告】 声・渡辺いっけい