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目印

目印。
天気がよかったり、
ちゃんと道が見えていたり、
そういう時には、目印なんて必要ないと思ってしまう。

「何を、当たり前のことを」と、
思わず笑ってしまうようなことも、あるかもしれない。

でも、本当は、きちんとした道になっているところは、
ほんの、一部でしかない。
ひとたび道から外れて、そのことに気づく。
本当に広くて、自分は小さくて、そして無限の選択肢の中に埋もれてしまう。

「今までの普通」が、「普通じゃない」ことに気づく。

そんな時に、目に入る目印は本当にありがたい。
歩く距離も、労力も全く同じでも、
「この道を進んで良いんだ」と思える何かがあれば、
急に気持ちが楽になる。
びっくりするくらい、楽になる。

私たちの生活の中にあって、
「そんなこと」と、
つい笑ってしまうような当たり前のこと。

でもね、生きていると、
「当たり前の事が、当たり前でない」ことが
いつ、何時来るかわからない。
そういう時、笑っていた何かが、自分の支えになる。

かといって、毎日毎日「当たり前」にしがみつく必要はないけど、
そういう当たり前に出会ったら、にこっと笑って、
一言挨拶くらいするような、そういう気持ちはあってもいいかな、と思う。

私に取っての大切な目印。もの、こと、そして人。
私も誰かの、そんな地味でも大切な目印に、なれているだろうか。
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by ton2_net | 2013-03-12 00:50 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

朝永のおじさん

僕は、朝永振一郎というおっさんが、割合好きだ。
この人は物理学者で、ノーベル賞もとっている。
「繰り込み理論」という理論を創った人で、偉大な物理学者だ。
写真を見てみると、中々かっこいい。
ファインマンにも似ている気がする。

僕は、この朝永という人を好きになったのは、
「すごいことをやっている」ということだけでなく、
その上で、「この人、ダメだなぁ…」と思えたからだった。

それは、僕が大学院1年生の頃だった。
研究もはかどらず、何をしに大学院に来たのか、と思っていた。
毎日ぷらぷらして、すごく気楽な日々を送っていた.
けれども、「こんなことでいいのか」、「もっと頑張れるのではないか」という
不安にも似たものを心のどこかにいつも抱えていた。

そんな時、大学の展示室というところに、朝永振一郎のコーナーがあった。
朝永は、筑波大学の学長をしていた時期があったのだった。
そこには、朝永がいかに素晴らしい物理学者であったか、その功績が記されていた。
すごいなぁ。天才というのは、いるのだなぁ、と思っていた時、
片隅に、朝永がドイツに留学していた時期の、朝永直筆の日記が有るのを発見した。
細かい字で、なかなか読もうと言う人はいなかったかもしれない。
でも、僕は読んでみた。暇だったのだ。(本当は、研究を進めなくてはいけなかったのだが。)

すると、そこには意外なことが書いてあった。
研究が全く進まず、いつも不安を抱えていること。
先生である仁科芳雄から、
私だって不安だったし、うまくいくかどうかは運のようなものだから、
それより、健康に気をつけなさい、
というような手紙を読んで、無性に泣けて来た、
と言う内容が記されていた。

開いてあるページはそれだけだったけど、
後に「量子力学と私」(岩波文庫)という本を読んだ中に、
「滞独日記」という章があって、
そこに他のページの内容も記されていた。

そこには、研究が進まない、
今月も、もう20日だ。
湯川秀樹は面白そうな研究をしていてうらやましい。
今日こそ、研究しようと思っていたが、さぼってしまった。
計算ができそうだ。でも、やっぱり、気のせいだった。
などと、弱気なことがずっとずっと書き連ねてある。

私は思わず、読んでいて、笑ってしまった。
そうだよな、人間って、そうだよな、と思った。


その後朝永は、計算に成功してノーベル賞をとるわけだが、
そういう時期があったのだ。
ノーベル賞をとるような人…
そうでなくても、すごい人は、元々すごい人で、
天才のように自分とはちがってぱっと業績をだすのだと、
そう人は思いがちだ。
もちろん、そういう人もいるのかもしれないが、
でも大半はそうではない。

きっと、あなたが思う「すごい人」も、
あなたと同じように悩み、さぼり、弱気になる。
よく、すごい業績を上げたひとが、「私はすごくなんかありません」と言うが、
あれは本人に取っては謙遜でも何でもなくて、本音なのかもしれないと思う。

いきなり、成果があがるわけではない。
悩み、苦しんだあげく、ようやくたどり着いた場所なのだ。
そこは、外野から見れば、天才がたどる「跳躍して届く彼方」なのかもしれないが、
本人に取っては「連続した道」なのかもしれない。

朝永の日記は、僕にそういう感覚をもたらしてくれた。

もちろん、才能という要素も多大に有るのだと思う。
努力しても、どうしようもない部分。
でも、頑張ってもどうしようもないのなら、
それはそれで、しょうがない。
考えたって、仕方ない。

ならば、どうするか。
毎日を生きるしかない。
不安で、苦しくて、弱気になる。
そういう毎日を、でも、それでもいいんじゃないかと、
その中でも楽しい部分を見て、
ゆっくりと歩いて行く。


朝永のおじさんは、もうとっくに死んでしまって、
もちろん会ったことなんてないんだけれど、
僕は、勝手に、人生の先生だと思っている。
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by ton2_net | 2013-03-06 02:00 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
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