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生きる実感

月が出ている。
人がまばらになった町に吹く夜風は、まだ少し冷たい。
家へと歩きながら、吐く息は白い。

みんな、死ぬんだよな、とふと思った。

それは全くネガティブな意味ではなくて、
単純に、純粋に、そう思う。
それまでの道のりを、どう過ごすか。

そう考えると、頑張る意味も分からないのかもしれないし、
逆に、すごく辛いと思うのも損な気もする。


昔、登山の研修に行った時に、「死ぬかも」と思った事があった。
北アルプスの、たしか剣沢雪渓だったと思うけど、
その大きな沢は、夏でも雪で完全に覆われていて、歩いて登ってゆく事ができる。
僕たちは、5人くらいと講師であるガイドさん2人とともにその沢を登っていた。
(すごく厳しい人で、何度も怒られた。)

けれどもその厚い雪の層の下には、0度の雪解け水が、
ものすごい勢いで流れているのだと、ガイドさんから聞いていた。
そこに落ちたら、まず助からないんだと。

一カ所、その流れが地上に出ている穴があった。
そこの近くを渡らなくてはいけなかったのだが、
当然周りの雪の層も薄くなっていて危ないから、
一人ずつ渡ろう、ということになった。

何の気無しに、普通に前の人が渡って行くのを、ぼーっと眺めていた。
大丈夫だろう、とさえ思っていなかった。
まったく危険なんて感じていなかったのだ。
プロのガイドもついてるし、と。

そして、僕の前の人が、渡り始めた。
その時僕は山の方を見ていた。
夏なのに雪がたくさんある沢は涼しくて、
そして、見上げた山は、とても綺麗で雄大だった。

その時、すごい音がした。
文字では表せないが、ごぉ、というような音だった。
お腹の底まで響く音で、すごく嫌な音だったのを覚えている。

はっとして前を見ると、さっきまで僕の前にいた大学生が、
雪の割れ目に落ちている。
しかも、割れた雪に足を挟まれて、身動きがとれない。

ひび割れは、僕の足のほんの1m前まで来ていた。

僕はあっけにとられて、1ミリも動く事ができなかった。
後ろにいたガイドさんが、ものすごい勢いで走っていって、
ピッケル(雪山を登る道具、先端に刃が付いている)で雪を削りはじめた。
それでもやはり、僕は動く事ができなかった。

そして、やがてその大学生は助け出された。
雪のブロックがいくつか下に崩れ落ちた。
僕は中を少しだけ覗く事ができたが、
中は真っ暗で何も見えなかった。

だが、その中がすごく危険であることは、
なぜだか分かった。
体がそうだとわかっていて、それは今までにない経験だった。

結局その子は大腿骨骨折で、ヘリコプターで搬送された。

僕は下山する時ガイドさんに、
「すみません、見ている事しかできませんでした。」
と行ったが、ガイドさんは真剣な顔で
「あの場では、それが正しい行動だった」と言った。

安全な場所へ着いた時、ガイドさんが僕らに頭を下げて謝っていた。
判断ミスだった、と。
すごく厳しい人だったから、とてもびっくりして、印象に残っている。


「死」という言葉が出て来ると、
自然にあの雪が崩れる低い音と、
割れ目の中の暗闇を思い出す。
あの暗渠を思い出す。

しかし、今になって、あの時、恐怖で立ちすくんだ時以上に、
「自分が生きている」と感じた瞬間があっただろうかと思う。

あの瞬間は、「生きている」ということを忘れていた。
すっかり忘れて、それでいて、間違いなく「今」を生きていることを感じていた。


仕事をしているとき、ご飯を食べているとき。
人と話している時、一人でいるとき。

自分は「死んでない」ことは分かる。
では、「生きている」ということは、どういうことなのだろうか。

ふと、この出来事を思い出すと、ふとそんなことを考えてしまうのである。
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by ton2_net | 2013-02-20 23:53 | Trackback | Comments(0)

書くこと、感じること

高校生の時、小論文が好きだった。
テーマがあって、何を書こうかぼんやり考えて、
あるとき、あっ、と「書きたい」とおもうことが浮かんで来る。
原稿用紙に向かって、一気に書き始める。

ものを書く、ということのコツを知っていた。
それは、「書かされている」のではなく、
自分で書きたい事を「書く」のだということ。
「書かされている」状態が続くと、
良くないことを、なんとなく本能で知っていた。

社会人になって、その状態が長く続いたと思う。
やらなければならない。
締め切りに間に合わさなければいけない。
とにかく、出そう。
「形にしよう」と焦るあまり、大切なものに覆いをかぶせてしまった。

すると、物を書く、ということばかりか、
その大元である、「感じる」ということが
ぼんやりとしてわからなくなってくる。

自分が本当に面白いと思っている事は何か。
逆に、自分が嫌だと思う事は何か。

それが分からなくなって来る。
頭で無理矢理思い込もうとするのが、わかる。
それをするということは、「自分を薄める」ということに他ならない。
松任谷 由美さんが、言っていた。
「徒に流行に乗ったり誰かの真似をするということは、
 自分を薄めることになるだけだ。」


「素直」に書いたら、
結局、くだらないことしか書けないだろうと思う。
けれど、それでいいんだ。
自分が、普段からくだらないことしか考えてないんだから、
それでいいんだ。
くだらなくても、「でも本当にこう思ったんだ」ということが核にあれば、
そして、そう思ったことを分析して、本当に伝えたいと思えば、
それはもう、くだらなく、ないんだ。
あぁ、そうか。
核にあるのが身体性で、それを頭で補えばいいんだね。

背伸びは大事だけど、ずっとするものじゃない。
背伸びしたら、あぁ、やっぱり背伸びだったな、と
普通の立ち方に戻ってみる。
そうしたら、自分の「身の丈」がわかる。
そしてその「身の丈」になって初めて、
自分にとって大切な物が見えて来るはずだ。

「海の彼方には もう探さない。
 輝くものは いつもここに
 私の中に 見つけられたから」

     (作詞/覚 和歌子)

 は、木村 弓さんの「いつも何度でも」の歌詞だが、
これが「千と千尋の神隠し」で宮崎 駿さんが言いたいことでもあったのだと、
最近思うようになって来た。

探している物は、いつも私たちの近くにある。
海の彼方を見るのは、それを見つけるためなのだ。
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by ton2_net | 2013-02-11 06:46 | Trackback | Comments(4)

前へ

そんなにうまいわけでもなくて、この二年間ろくに滑ってないけど、
スキーで大切なことは、重心を後ろへずらさない事だと思う。
重心が後ろにいくと、板の前が浮いてしまって、転んでしまう。

前へ、前へ。

前のめりになってから、考える。
今、楽しくないならば、「どうしたら楽しくなるか」を考える。
それだけで、世界がぱっと変わる瞬間が有る。

脳科学の研究で面白い話がある。
ネズミのひげに棒をあてて、脳の反応を見る実験が行われた。
大抵は、研究者が棒をねずみのひげに近づけて当てるのだが、
10回に一回くらい、ねずみのひげが動いて、
自ら棒に当たる、ということが起きる。
すると、その時の脳の反応は10倍になるらしい。

自分から動いたときの脳の反応は、10倍。

立ち止まって休む事も大切だけど、
どうせ動く、動かなければいけないんだったら、
前へ、前へ。

そうは思えないときも、多いんだけど、
それでもそういう時にたまに、スキーのことを思い出す。
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by ton2_net | 2013-02-09 07:23 | Trackback | Comments(0)

春のこと、冬のこと

小さい頃は、春っていう季節があまり好きではなかった。
なんか、むわっと生暖かいし。
多分、「春っていいよね」というメジャーな考え方があるような気がして、
そこに反抗したいという感じだったのかもしれない。

でも、大学生になって、冬山に登り始めた一年生の冬、
それはとても寒くて辛くて、
この冬に終わりは来るのか…なんて思っていた時期に、それは来た。

多分、日曜日だったと思うんだけど、なんとなくふらふらっと外を散歩していたら、
唐突に、ふっと春のにおいを感じた。
周りをみると、猫がひなたぼっこしていた。
僕はかがんで、足下の雑草を良く見てみたら、
小さな虫が、一生懸命に動いていた。

月並みで、平凡で、当たり前の事だけど、そのとき確信に近い感覚で、思った。
春は来るんだなぁ、と。


その時以来、春という季節の良さが、素直に分かるようになったと思う。

でも、今思うと、この経験から学んだ事は、
春のことではなくて、冬のことについてなのかもしれないな、と
温かい日差しの中を、お気に入りのカレー屋さんまでの道のりで考えたのでした。
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by ton2_net | 2013-02-03 14:11 | Trackback | Comments(0)

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
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