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実験



理研より。
実験3日目。
すーざんさん飲みにはken.kobaを投入して埼玉へ。
宅通組のきゅうびんと一緒に武蔵野線まで。

実験。一年前よりは戦力になっているかな。
しかし、この博士の人たちに囲まれていると、ドクターコースへの憧れが強まると同時に、生半可な覚悟では進めないぞ、と思う。なにせ、こんな人達ばかりが棲息しているのだから。

明日も実験。
つくばに帰ってきたらKEKで夏期実習だ。
終末には村上春樹を読むぞ!!


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by ton2_net | 2009-05-30 22:21 | 物理学 | Trackback | Comments(4)

99.9%は仮説



「99.9%は仮説」 竹内薫 光文社文庫

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科学は、世界共通語。
科学は、現代の基礎的な考え方。
全ての根本---

一般的には科学で証明されたことは覆しにくく、
逆に科学的に証明されていないことは「ナンセンス」と片付けられてしまう事も少なくない。
しかし、科学によって生み出された考え方は実はそんなに確固たるものではなく、常に覆される可能性を孕んでいる。
それが、カール・ポパーの提唱した科学の定義、

「科学とは、反証可能なものである」

に良くあらわされている。
つまり、ある仮説について、「こういう実験をすれば、それは正しくない、と証明できるな。」と考えられるものだけが、科学だというのである。
だから、「絶対的に正しい」真理なんていうものがあったとしたら、それはポパーの定義ではもはや科学ではなくい。

リチャード・ファインマンは、「科学は近似である」と言っている。我々は「真理」(というものがあればとすればだが)の周りをぐるぐるぐるぐる回っているのである。その距離は、科学者達の努力によって段々近くなるのかもしれないが、距離が0になることはない。

そう考えると、我々は実に切ない世界に生きている。
我々は、本当に何かと距離=0になること、「触れる」というこは出来ない。
まわりをぐるぐる回って、その輪郭を感じることが出来るだけなのだ。

でもそれは、人間の感覚器官や、表現の世界であって、人間の「心」というものは、「近似」だけではない、何かもっと高次なものなのではないかと思う。それが、僕の「仮説」であるが、果たしてこれは反証可能であろうか。


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by ton2_net | 2009-05-28 18:37 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

自由、このすばらしきもの

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写真は昨日の練習後、koba.ken、あっさいとともに餃子屋に行ったJAPです。。。
なんかどっかの美術館にある絵みたいだ。

昨日はPeter先生とのPrivate lessson。
45minutesのshort versionなので、英語のメールの書き方について。

書き始めは
Dear (name)
でよいのだが、このとき、
Dear (first name) or Dear Dr.(Mr. Ms. etc) (Family name)
で、
Dear (Family name)
とは普通書かない。

また、文末には日本語の「敬具」にあたる
Sincerely,
等を書くが、例えば感謝の手紙なら、
Thanks
Thank you
Thankfuly / with thanks
appreciatively
Gratefully
などがあり、下に行くほど強い感謝を表す。
Gratefullyなどは気軽に使ってはイケナイ。

他にも謝りのメールなら、
sorry
sincerely
with regret
apologetically
Remorsefully
などがあって、同様に下に行くほど程度が強くなる。

気がついたら時間オーバーしていたので、打ち切って研究室に帰る。
帰りのエレベーターで中国人の留学生と一緒になり、話しかけられる。
「この階で、ジュギョですか?」
「? ああ、授業じゃないですよ。先生に会いに来たんです。
 何を研究されているんですか?」
「チソウの研究です。まだ日本語ワカラナイので、勉強している。」

とにかく、何かを勉強するためには、使ってみるのが1番いいように思う。
この留学生も、日本語を使うために見ず知らずの人に話しかけているのかもしれない。
その積極性に、乾杯だ。

家庭教師へ。
今日は犬養道子(いぬかいみちこ)の「自由、このすばらしきもの」を読む。

テーゲレン湖のそばで、ちょっとした事が起こった。案内をしてくれたドイツ人一家の(それはビール工場に勤める労働者の一家であった。)八つになる男の子が、後生大事に抱えてきていた、去年だかの誕生祝いにもらったというトランジスターラジオを、突然かけたことである。天地の沈黙が破られて、音の波が矢のように辺りを駆け巡った。---が、ほんの一瞬だった。母親が急いで男の子の肩に手をかけ、父親がはっきりした調子で、ここでは音を立てるなと言ったからである。
「静かに山を見ている人もいるんだよ。」
「だって、」
と男の子は執着がましく言った。
「僕は聞きたい。」
「静かにしていたい人もいる。音を聞きたい人もいる。だから、耳に当てて、聞きたい人だけが聞く装置がついているんだよ。」
 男の子は納得した。湖畔の小道には、また静寂がもどった。静寂の中で山の峰は、いよいよ青く、いよいよ迫るように見えた。街中を離れて出かけてきた人間たちの心をいやし、魂を洗い、新しい元気を休息もろとも与える恵みに満ちた荘厳さが感じられた。---

「自由、このすばらしきもの」犬養 道子


秀逸な文章である。無駄が無く、しなやかである。「聞きたい人」、「聞きたくない人」両方が存在することを認め、お互いの自由を尊重すること、そして、それを子どもに教えようとする姿勢が、見事に描かれている。こういう文章を書く人が、物書きで飯を食っているんだなぁ、と感心する。
中学生の教え子には、ファイルをプレゼントして、教材をファイリングしてもらっている。三浦哲郎だとか、犬養道子だとか、芥川龍之介だとか、今はよくわからなくて(そして教え方が悪いが故に成績があがらなかったとしても・・・)いつか大きくなった時そのファイルを開くことがあれば、きっと何か感じることがあるだろう。そして、たとえ二度と読み返さなかったとしても、優れた文章に触れるということは、なにかしら彼の人生において(たとえ目に見えないようなちいさなことであっても)いい影響を与えるに違いない、と思っている。
いつか、ファイルを見返してくれて、ついでに僕のことをちらっとでも思い出してくれて、その上、
「あぁ、あの時は分からなかったけれども、これはなんていう素晴らしい文章なんだろうなぁ。」
と思ってくれる、までは贅沢な望みだろうけど、まぁ、懐かしいな、位に思ってもらえれば、冥利に尽きる。

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by ton2_net | 2009-05-26 23:02 | 教育学 | Trackback | Comments(0)

ウェブ進化論



「ウェブ進化論」梅田望夫(ちくま新書)

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読んでみて、N尾が薦めていた理由が分かる。面白い。

 インターネットの世界には膨大な量の情報が存在し、もはや我々は検索エンジン(Googleとかyahooとか)とブックマーク無しにインターネットを有効に活用することは出来ない。検索エンジンを使ったインターネットの世界は使用者が能動的な行動を起こさないと活用できない(例えば検索窓に文字列を打ち込まなければ検索できない。どんな検索ワードを打ち込めばいいのか分からない場合、目的の情報にたどり着くのは中々手間がかかる)。テレビやラジオは、悪く言えば垂れ流し、しかしよい面を見れば「自分の予期していないものと出会う」=視聴者が受身の態勢で使用できる、という特性を持っている。これからテレビやラジオ、活字のメディアは、その強みを売りにしていくべきではないかと思っていた。

 しかし、ウェブ進化論の中で梅田さんは、Gメールを初め、使用者がウェブの「あちら側」(パーソナルコンピュータとして使用者が持っているパソコンの中ではなく、使用者がネット上にあるGoogleなどの用意したサーバー上にデータを保存できるる場所のこと)にデータを保存することで、そこから使用者の性格や所属、関心を持っていることを分析し、適切な情報を受動的に受けられるようにする計画があると書いていた。これはamazonのrecommendation(これを買った人はこういう商品も買っていますよ、というオススメ商品の宣伝をすることなど)とはまた違った新しい手法である。

 この本ではGoogleの行なうオープンソースなどの経営戦略や、「世界中の情報を整理し尽す」という構想に対して基本的にポジティブに書いてあるのだが、大手出版社や大手新聞社からは著作権に対しての厳しい目を光らせているところもある。Googleの個人を特定しての情報戦略に関する秀逸なSF(途中まではほんと)映像がネット上に配信されているので、このリンクをはっておく(英語版ですが)。
epic2015


 最後に、ブログについて書かれた文章を引用しておく。
実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの一年半の過程で身を持って実感した。(中略)ブログを通じて自分が学習した最大のことは、「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」ということである。(fladdict.net blog「知的生産ツールとしてのブログ」より。「ウェブ進化論」pp164)

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by ton2_net | 2009-05-25 23:19 | 読書記録 | Trackback | Comments(0)

なべちゃんのありがたいお言葉



なべに動画と写真のファイルをCDに焼いて送ってもらったのだが、一緒に手紙が入っていた。
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なべちゃんのありがたいおことば


さすが、夢を掴んだ方のお言葉は、ありがたみが違う!!
元気付けられました!ほんとにありがとうね!!

CD-ROMの中にはすごく卒業旅行の動画も入っていて、すごく秀逸な作品が数多く収められていました。
あっさいくん・・・記憶回収できるよ・・・☆
懐かしいね。本当に。

金、土、日と理研です!!
明日の朝から、行って来ます。


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by ton2_net | 2009-05-22 01:03 | 陸上 | Trackback | Comments(0)

a question you have to answer yourself



昨日の「高麗」にて。
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左から

koba.ken
mori.ken
ika.ken

である。
添付ファイルの拡張子には気をつけなくてはならなくて、例えば[.exe]だったりすると気をつけなくてはいけない。怪しい実行ファイルかもしれないからだ。
同様に、[.ken]はこれから楽しみでもあり、気をつけなくてはならない拡張子になるであろう。



悩み事を人に相談することは、大切なことだ思う。
何より、「悩み事を人に相談する方法」の練習になる。

しかし、一ノ矢のココストアでバイトしていた時、
一緒に入った心理学専攻博士課程の中国の方が言っていた。
「答えは相談してきた人の中にあるのです。
 カウンセラーにできることは、その答えを引き出すお手伝いをすることだけです。」


All I can do is to help drawing your answer that exists within your mind.

これは、悩みを聞く人にとっても、悩みを相談する人にとっても、
心に留めておくといい言葉のように思われる。
最後に答えを「決める」のは自分だと思っていなければならないと思う。
「決まる」のでもなく「決めてもらう」のでもなくて。
a question you have to answer yourselfだからね。
難しいけど、最後には自分で決めないと、後悔するのは自分だと思うんだよ。

妹の相談を聞いて、そういう風に感じた。


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by ton2_net | 2009-05-21 12:35 | "言葉” | Trackback | Comments(4)

1Q84/村上春樹

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http://www.shinchosha.co.jp/murakami/より
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by ton2_net | 2009-05-18 14:34 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

夜明け前が、一番暗い

今日は朝から理研へ。
助教の方に一日ついてまわって、いろいろお勉強。
やってみないと、わからない。

ガタゴト電車に乗りながら、色んな人にメールを打っていた。
島根の友達、福岡の友達。
遠くに行っても、がんばれ。

つくばの後輩とも。
昨日も違う後輩の話を聞いたが、みんな、がんばっている。
頑張っているから、悩む。ある人が、言っていた。

 「悩んだり、苦しんだりしたことのない人に、
  果たして魅力は有るだろうか」

僕は、この言葉を聞いてすごく救われた。
少なくとも、悩んだり、苦しんだりすることは必ずしも悪いことではないかもしれない、と思えた。
百年に一度の不景気と言われるが、株式の世界にはこんな言葉も有る。
「夜明け前が一番暗い」
案外、出口はすぐそこなのかもしれない。

そしてワンゲルの石田一から帰国の連絡。
旅先での数多の推理を聞かせてくれ、と言った所、
「相当数の迷宮入り事件が発生しました。またお話したいです。」とのこと。
現在新型インフルエンザの関係で謹慎中。

国内で確認された感染者が84人になった(十八日零時現在)。
H沢の話等を聞いて「流行は時間の問題」だとは思っていたが、
弱毒性とはいえ、今後の動向に注意したい。

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by ton2_net | 2009-05-17 23:59 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

sustainable

おばあちゃんから電話がかかってきた。

「今日はな、公民館でゴキ団子作ってきたわ。」
「ゴキ団子?」
「たまねぎとかホウ酸とかこねて、ゴキブリを殺すやつやわ。
 略して、ゴキ団や。」
こういう何気ない報告が、いつも非常に楽しげである。


「持続可能な開発(sustainable development)」という考え方は、
1980年代に国連環境計画(UNEP)などがまとめた「世界保全計画」で初めて用いられ、
92年の国連サミットで、「アジェンダ21」などに、
環境保全の中心的な考え方として具体的に使われるようになっていった考え方である。

wikipedhiaによると、
「持続可能な開発(じぞくかのうなかいはつ、英 Sustainable Development / SD、サステイナブル・ディベロップメント)とは、現代の世代が、将来の世代の利益や要求を充足する能力を損なわない範囲内で環境を利用し、要求を満たしていこうとする理念。」

とある。

開発や、それに関わっておこる自然破壊を単純に「悪」とするのではなく、
必要性を認めて、対立する意見の整合性を取る、と言う考え方と、
それを具体的な形で実行に移していけたことは、一つの成功で、
それ故に広く一般に使われるようになったのだと思う。


さて、最近放送作家の小山薫堂(こやま・くんとう)さんの
インタビューの記事が新聞に載っていた。

いつも努力ばかりしていて息切れしてしまうのでは無く、ここぞという時に持っている力を使う。僕は人生のオールというのですが、川を下っていて、順調に流れているなら、その流れに乗っていけばいい。しかし、川が枝分かれして、どちらかに進まなくてはならない時には、自分のオール、考えを使って一生懸命に選んだ流れへ、こがなくてはならない。
 ここが判断のしどころ、チャンスだと思ったら、とことんそこで全力を尽くしてがんばるのです。静かに淡々と生きてきたとしても、自分の判断で死に物狂いになる瞬間は乗り切らなくはなりません。


いくつもの教訓があり、様々な解釈の仕方があると思うが、
ここで言いたいのは、”いつもがんばっていると息切れしてしまうよ”ということである。
"ここが判断のしどころ、チャンスだと思ったら、
とことんそこで全力を尽くしてがんばるのです。"
とあるが、そのタイミング、状況を見極めるという能力も、
マイケル・ボランニーの提唱した"暗黙知"の一つだとは言えないか。

今日の朝日新聞「be」には、経済評論家で公認会計士である勝間和代さんの
「やる気に頼るな、仕組みに頼れ」という記事が掲載されていた。

仕事も勉強も、意思だけに頼ると結局、中途半端に終わり、自己嫌悪に陥るという悪循環が生じます。そうではなく、どうやったら続けられるように出来るのか、その仕組みを考え抜いていくと、結果が出やすくなります。あなたに足りないのはやる気ではなく、仕組みです。


たとえば英会話の勉強など、それは「やればいいに決まっている」ことであるが、
現実を見ると、他にやらなければいけないことや、やりたいことがたくさんある。

がむしゃらに手を出すという時期もあってもいいと思うが、
冷静に今の現実を見て、その上で実現可能なことを考える、という思考は、
これから必要になってくると思う。

これは英会話の持続に限らず、
「男女差別の問題」や「これからやりたいこと」などを
"理想"や"机上の空論"で終わらせないためにも必要であろう。

「持続可能な」計画を立てて実行することや、
その思考のためのプロセスを、最近僕は重視しはじめてきたのだが、
実を言えばこれは今までになかったことである。

「ごちゃごちゃ考えてないでその間にやっちゃえば」という風にすごしてきたのだが、
研究室に入ってから少しずつ「sustainable」な考え方も、必要かもな、
ということに気付き始めたのである(ワンゲルをやっている時点で気付きたかったような気もするが)。


今日ゴキ団子を作ったおばあちゃんは何をするにも楽しげである。
電車で隣に座った知らない人にいつも話しかけ、
目的地まで退屈することのない驚異のコミュニケーション術の持ち主である。
あることを「持続可能」にするには、
「持続可能」を踏まえた計画をすることが大事だという話をしたが、
それと同時に、やっていることを楽しむことが1番ではないだろうか。

「之を好むものは、之を楽しむものに如かず」である。
やることなすこと、また、すくなくとも自分のまわりは常に居心地のいい環境にしてしまう人がいる。
そういう人は、何事においても「持続可能」なことが多いのではないか。

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by ton2_net | 2009-05-16 21:17 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

朝永振一郎

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大学会館のギャラリーの一角に、朝永振一郎の展示コーナーがある。
ハイゼンベルグの下へ留学していた時の、
表には見せなかった内面を記した直筆の日記が展示されている。

十一月二十二日には、
恩師仁科博士からの励ましの手紙に涙したエピソードが記されている。


 十一月廿二日
  仁科さんから手紙が来る。
  ・・・仕事がうまくいかないのでゆううつになっていると心を打ち明けていたのを、
  仁科さんが知って、それに対する返事なのである。
  「業績のあがると否とは、運です。先が見えない岐路に立っているのが我々です。
   右へ行くも左へ行くも只、その時の運や気で決まるのです。
   それが先へ行って大きな差ができたところで、
   あまり気にする必要はないと思います。
   又そのうちに運が向いてくることもあるでしょう。
   小生はいつもそんな気で、当てにできないことを当てにして日を過ごしています。
   ともかく気を長くして健康に注意して、
   運がやって来るように努力するより外はありません。 長々
  これを読んで涙が出たのである。
  学校へ行く道でも、この文句を思い出すごとに涙が出たのである。・・・
滞独日記(岩波文庫「量子力学と私」に所収)

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by ton2_net | 2009-05-15 16:12 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
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