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あ、

やっぱうそかも。
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by ton2_net | 2009-01-31 15:39 | Trackback | Comments(0)

山を越えた

卒論が山を越えた。(気がする)
今からそれをoutputしなければいけないが・・・。

でもかなり気が楽になった。

みなさんも最後までがんばってください。
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by ton2_net | 2009-01-31 14:47 | Trackback | Comments(0)

雨が降ってますね。
そういえば今年のセンター試験の小説問題は加賀乙彦さんの「雨の庭」でしたね。

・・・おぉ。気付けば1月も終わりではないか。
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by ton2_net | 2009-01-30 09:21 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

一人

今日は5時に起きた。
外はまだ漆黒の闇である。

最近朝、早く起きている。
そう言うとよく「えらい」とか「すごい」とかいう人がいるが、
早く起きる分早く帰って寝るようにしているので、
結局夜遅くやらない分を朝に回しているだけである。
要は夜型か、朝型かの違いである。

僕は朝やるのが好きで、
なんというか、一仕事終えた頃に他の人が来ると、
まぁ、なんというか、優越感というかちょっと心の余裕ができるじゃないですか。
そういうわけで、最近は早く起きてキーボードをかたかたやっている。


結構前の話だが、まっきーさんとたりゅうとまるまつへご飯を食べに行った日の事。
どこにいこうか迷っていたので、そこにいたゆめにどこがいいかたずねたら、
「夢屋がいい」と答えた。
ゆめだけに、か?
ゆめがあんまり外食に行かない、という話になり、たりゅうが、
「でも、練習後一人で飯食うのいやじゃない?
 あ、一人じゃないかもしれんけど(ぼそっ)」
というと、
「いや、ご飯を、食べるのは、一人ですよ。」
と言った。
語の区切り方から、「人間死ぬ時は誰だって一人だよ」みたいな限定的なニュアンスが入って妙に頭に残った。

ワンゲルの飲み会の席で、物理専攻の後輩○山氏と話していたら、
人は物に触れられない、という話になった。
物に触れる、という定義が曖昧であるが。

我々が”触っている”と思ってものの感触を味わう時、
それは、物の中の原子と例えば手の原子の間に働くクーロン斥力であって、
物体との距離が0になることはない。
なぜなら、クーロン力は距離が0になると無限大に発散してしまうからだ。
人間は、自分の体を構成する原子中の電荷によって、
体の回りにクーロンバリアをまとっている。

だからなに、って話ですけどね。
なんかこういうくだらない話が好きなんっすよ、はい。
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by ton2_net | 2009-01-29 10:24 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

学びと暗黙知

さぁっ、どんどん残り時間は少なくなるよ!!
☞http://www.tac.tsukuba.ac.jp/~z0801/

__
今日は内田樹さんのブログ「内田樹の研究室」を。
「学びと暗黙知」より。
http://blog.tatsuru.com/2009/01/28_1413.php

「学び」を可能にするのは、この「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。
この力がなければ、子どもたちは「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能」だけを選択することになる。
そして、「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能だけ」では私たちは困難を生き延びてゆくことができない(それが「子ども」という言葉の定義である)。
私たちの社会が組織的に破壊してきたのは、子どもたちの中に芽生えようとしているこの「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。
マイケル・ポランニーはこれを「暗黙知」と呼んだ。

中略

初等・中等教育課程の相当部分は「暗黙知」開発のためのプログラムであるべきだと私は思っている。
そこで「今は何の役に立つのかわからないけれど、いつか自分の命を救うことになりそうなもの」を探り当てる感覚を練磨するのである。
それが「学び」の前段ということである。
これが整っていない子どもは「今学んでいることの有用性」(それは「それがもたらす年収の増額分」としてのみ把握されている)についての確信が揺るいだ瞬間に、自動的に学ぶことを止める。
私たちは過去30年にわたって、子供たちをそのように訓練してきたのである。
「あらゆる教育プログラムの効果はエヴィデンス・ベーストで示されねばならぬ、数値的にその効果が示せないような教育プログラムは無価値である」という妄想に日本の教育行政の当事者たちも教育評論家も教育ビジネスマンも取り憑かれている。
これは「病気」を通り越して、ほとんど「狂気」と呼ばねばならないと私は思っている。


う~ん。なるほど。

「なぜ学ぶのか?」
「何を学ぶべきなのか?」
は非常に大切な問いかけである。
そして、その問いかけの答えは、自分で見つけ出すものであり、
それができるできるようになるために、我々は学ぶのだ。

にわとりか、たまごか、といったところでしょうか。
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by ton2_net | 2009-01-28 16:25 | 教育学 | Trackback | Comments(2)

ふふっ。

時間がないです☞http://www.tac.tsukuba.ac.jp/~z0801/
さすがに体裁にこだわっている暇がなかったので・・・
カウントダウン機能だけ、ね。
卒研終わったらホームページ作りもやろう。

___
脳科学者茂木健一郎のブログより、
”「無記」が大切なのは”より。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/01/post-4512.html


夜道を歩きながら考える。

釈迦は、「この世界はなぜあるのか」
「人は死後どこにいくのか」「魂はあるのか」
といった大きな問いに対して、「無記」を
貫いた。

人生で本質的なこと、とりわけ、自らの
行動原理にかかわることについて
「無記」が大切なのは、
言葉に表すことでかえって
「動き」が止まってしまうから。

言葉で「こうだ」と決めつけてしまうことは、
うごめく生命体をスケッチするよう
なもの。

「スナップショット」はもとの実体のなにがしかを
表現しているとは言いながら、生命体
そのものではない。

自らの生を駆動するエネルギーの有機体は、
言葉で表現してそれで尽きて満足できるような
ものではないはずだ。


考えすぎることは、限定してしまうことにもつながる。
考えすぎない事も、大事。
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by ton2_net | 2009-01-27 07:26 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

あんたら、腐ったみかんやっ!!

小学生の頃から結構めちゃくちゃやってたんで、
音楽の時間とかすさまじいことになっていた。

そんな僕らと一年間共に過ごしてくれた先生が、
ついにブチ切れて発したのがこの言葉。

「あんたらは、腐ったみかんやっ!!
 腐ったみかんがあると、周りのみかんも腐ってしまうんやっ!!」

今でもいい思い出です。
いや、ほんとにこのまま言われたんよ。
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by ton2_net | 2009-01-25 23:52 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

講演会のお知らせ

小林・益川理論に関する講演会の情報を二つ。
一つ目は卒論提出間近なのでいけませんが、
21日のは言ってみるつもりで、もう申し込みました。
誰か、行かない?
21日のには立花隆も来るようですね。
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2009年2月21日(土)
13時30分より(開場12時30分)
時間       題目            登壇者
13:30-13:35 開会挨拶             高エネルギー加速器研究機構 機構長
                              鈴木 厚人
13:35-14:05 素粒子と日本のノーベル賞  高エネルギー加速器研究機構 教授
                              岡田 安弘
14:05-14:50 小林益川理論          高エネルギー加速器研究機構 特別栄誉教授
                              小林 誠
14:50-15:20 Bファクトリー実験とその将来 東京大学大学院理学系研究科 教授
                              相原 博昭
15:20-15:40 休憩

15:40-16:10 標準理論の向こう側      評論家
                              立花 隆
16:10-17:30 パネル討論           立花隆(モデレーター)、小林誠、岡田安弘、相原博昭、生出勝宣(高エネルギー加速器研究機構 教授)
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by ton2_net | 2009-01-23 23:10 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

「未来を信ずる歌」

NHKの「ひょっこりひょうたん島」の脚本は、井上ひさし、山元 護久である。
二人の脚本の書き方はユニークだ。
考えてきた脚本を二人で持ち寄って、
二人が笑えばOK、というなんとものどかな製作の仕方であったらしい。

締め切りに間に合わないこともしばしばで、
人形を操る人も声優も、その場で配られた台本で演技することもあった。

登場人物の一人にドン・ガバチョというキャラクターがいる。
口だけのおっさんである。
ガバチョのテーマ曲とも言うべき「未来を信ずる歌」の中に、
こんな一節がある。


 今日がだめなら、明日にしましょ
 明日がだめなら、明後日にしましょ
 明後日がだめなら、明明後日にしましょ
 どこまでいっても、明日がある




この歌は、つまるところ、仕事を先延ばしにしようという歌なのだが。笑
この放送後、テレビ局に電話がかかってきた。

「一家心中しようと思っていたところに、
 あの歌がかかってきまして・・・。」
思いなおしたという。

何が人のためになるかは、分からないものですが、
”大変な時代”といわれている今、
こういうテーマは、実は非常に大事なのではないか、と思う。
暗いといわれている時代にこそ、必要なものではないかなぁ。
なんていうか、おふざけというかね。

現実に、東京ディズニーランドはこの不況をものともしていないらいしいし、
日本テレビが日活の大株主になった、なんてニュースが流れてたけど、
なんか、やっぱりそういうことのような気がしますよねー。
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by ton2_net | 2009-01-23 10:25 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

「緒形洪庵」

緒方洪庵は、天然痘に苦しむ人々を救おうと、
「除痘院」という診療所を作った。
牛痘ウィルスを投与することにより、天然痘を予防したのだ。
牛痘は、人に対しては症状が軽く、痕跡も残らない上、
近縁の病気である天然痘に免疫ができる。
ヨーロッパでは18世紀から使われている方法だ。
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しかし、除痘院が世間に認められるまで5年、
幕府に認められ公の機関として活動できるまでには、10年の歳月が必要だった。
それは、
「牛痘を使うと、牛になってしまうぞ」
という根拠の無い風説と、
心無い人による偽の牛痘ワクチンのため、
なかなか進んで予防接種を行なおうという人が増えなかったためだ。

しかし、緒方はあきらめなかった。
緒方は時に自ら近隣の家々を回って接種を行なった。

やがて天然痘がはやる時でも、牛痘接種を行なった村では感染者が出ない、
という噂が広まり、緒方の方法は民衆に認められていくのだ。

緒方は西洋医学を取り入れた。
だが、それだけではなくて、それを広めるための、
地道な、草の根活動こそが、今も語り継がれる所以だろう。
緒方はその後、適塾を開いて、福沢諭吉らを育てることになる。


草の根活動、と聞いて思い出すのは、
マザー・テレサのこの言葉だ。
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貧困や戦乱にあえぐ人々に対して手厚い看護を施し、
そして助からない患者は、最後まで看取った。

彼女は言う。
私達が行なっていることは、大海の中の一滴に過ぎません。
 しかし、私達がそれをやめれば、確実に一滴が減ってしまう。

彼女が看たような人々を生み出す原因となる、貧困や戦火について考えるのも大事だ。
しかし、こうした枝葉の活動も、やはり同じくらい大切なのだ。

ノーベル平和賞を受賞した後、記者が
私達は世界平和のためにどのようなことをしたらいいですか?
と問われた時には、テレサは微笑み
家に帰って、家族を大切にしてください。
と答えた。


おそらく今考えるべきは、
過去に何が「できた」か、未来に自分が何が「できる」かではなく、
将来自分は何が「したい」か、ということ。
そして、どんなに小さくても「今」この瞬簡に自分にできることだと思う。
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by ton2_net | 2009-01-22 07:39 | "言葉” | Trackback | Comments(8)

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
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