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カテゴリ:物理学( 64 )


朝永のおじさん

僕は、朝永振一郎というおっさんが、割合好きだ。
この人は物理学者で、ノーベル賞もとっている。
「繰り込み理論」という理論を創った人で、偉大な物理学者だ。
写真を見てみると、中々かっこいい。
ファインマンにも似ている気がする。

僕は、この朝永という人を好きになったのは、
「すごいことをやっている」ということだけでなく、
その上で、「この人、ダメだなぁ…」と思えたからだった。

それは、僕が大学院1年生の頃だった。
研究もはかどらず、何をしに大学院に来たのか、と思っていた。
毎日ぷらぷらして、すごく気楽な日々を送っていた.
けれども、「こんなことでいいのか」、「もっと頑張れるのではないか」という
不安にも似たものを心のどこかにいつも抱えていた。

そんな時、大学の展示室というところに、朝永振一郎のコーナーがあった。
朝永は、筑波大学の学長をしていた時期があったのだった。
そこには、朝永がいかに素晴らしい物理学者であったか、その功績が記されていた。
すごいなぁ。天才というのは、いるのだなぁ、と思っていた時、
片隅に、朝永がドイツに留学していた時期の、朝永直筆の日記が有るのを発見した。
細かい字で、なかなか読もうと言う人はいなかったかもしれない。
でも、僕は読んでみた。暇だったのだ。(本当は、研究を進めなくてはいけなかったのだが。)

すると、そこには意外なことが書いてあった。
研究が全く進まず、いつも不安を抱えていること。
先生である仁科芳雄から、
私だって不安だったし、うまくいくかどうかは運のようなものだから、
それより、健康に気をつけなさい、
というような手紙を読んで、無性に泣けて来た、
と言う内容が記されていた。

開いてあるページはそれだけだったけど、
後に「量子力学と私」(岩波文庫)という本を読んだ中に、
「滞独日記」という章があって、
そこに他のページの内容も記されていた。

そこには、研究が進まない、
今月も、もう20日だ。
湯川秀樹は面白そうな研究をしていてうらやましい。
今日こそ、研究しようと思っていたが、さぼってしまった。
計算ができそうだ。でも、やっぱり、気のせいだった。
などと、弱気なことがずっとずっと書き連ねてある。

私は思わず、読んでいて、笑ってしまった。
そうだよな、人間って、そうだよな、と思った。


その後朝永は、計算に成功してノーベル賞をとるわけだが、
そういう時期があったのだ。
ノーベル賞をとるような人…
そうでなくても、すごい人は、元々すごい人で、
天才のように自分とはちがってぱっと業績をだすのだと、
そう人は思いがちだ。
もちろん、そういう人もいるのかもしれないが、
でも大半はそうではない。

きっと、あなたが思う「すごい人」も、
あなたと同じように悩み、さぼり、弱気になる。
よく、すごい業績を上げたひとが、「私はすごくなんかありません」と言うが、
あれは本人に取っては謙遜でも何でもなくて、本音なのかもしれないと思う。

いきなり、成果があがるわけではない。
悩み、苦しんだあげく、ようやくたどり着いた場所なのだ。
そこは、外野から見れば、天才がたどる「跳躍して届く彼方」なのかもしれないが、
本人に取っては「連続した道」なのかもしれない。

朝永の日記は、僕にそういう感覚をもたらしてくれた。

もちろん、才能という要素も多大に有るのだと思う。
努力しても、どうしようもない部分。
でも、頑張ってもどうしようもないのなら、
それはそれで、しょうがない。
考えたって、仕方ない。

ならば、どうするか。
毎日を生きるしかない。
不安で、苦しくて、弱気になる。
そういう毎日を、でも、それでもいいんじゃないかと、
その中でも楽しい部分を見て、
ゆっくりと歩いて行く。


朝永のおじさんは、もうとっくに死んでしまって、
もちろん会ったことなんてないんだけれど、
僕は、勝手に、人生の先生だと思っている。
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by ton2_net | 2013-03-06 02:00 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

自分自身の理論、物語を創る力

研究室で学んだ大きな事は、「実験と理論」という、
二つの手法の関係性をなんとなく肌で感じ取れたことだ。


実験をして、得られたデータから、その意味を読み解き、理論を創る。
理論を創るとは、すなわち「事実に即した物語を創る」ということだ。

その「物語」から、まだ起こっていないこと、
まだ実験していないことのデータまで、推測してみる。

新しい実験で、その未知の領域のデータが得られ、
その物語の正しさが証明されてゆく。
(または実験データに合わせて理論が改訂されてゆく。)

このようにして、物事の理解は進む。


理論パートの真価が本当に発揮されるのは、
これまでの理論と実験データの矛盾に陥ったときだ。
このとき、ぱっと、考えつく選択肢は二つだ。
①理論が間違っている
②実験のやり方が適切でなく、データが正しくない

この考え方は、学校でよく行われるディベートに似ている。
AかB(=反A)かを選び、「どちらが」正しいか議論する。
両立はあり得ない。


去年の夏に見つかった「ヒッグス粒子(場)」も、
予言されたときは実にこのような状況だった。
しかし、物理学者たちは①でも②でもない、
”第三の道”を見いだす快挙を成し遂げた。

1960年当時、素粒子の世界が抱えていたジレンマはこうだ。
これまで積み重ねられて来た理論では、
(1)「素粒子はすべて質量が0でなくてはならない」。

しかし、1960年代には
(2)「様々な素粒子が質量を持つ事が明らかになってきた」。

(1)と(2)は、これだけみると共存不可能に見える。

しかし、理論物理学者のピーター・ヒッグスがこう考えたのだ。
「素粒子の質量はみんな0だけど、
 素粒子に質量を与える僕らの知らない”未知のファクター”があって、
 今は、素粒子と未知のファクターをごっちゃにしてるんだね、たぶん。
 そしたら今のままの理論でも実験データを説明できる。」


この「未知のファクター」は、「ヒッグス粒子(場)」と呼ばれるようになる。
それからおよそ50年。
ヒッグスの考えの正しさが、スイスのLHCで実験的に証明された。


考えてみれば、世界には元々矛盾なんて何一つない。
人間が、勝手に解釈して創った「物語」の中に矛盾が生まれるのだ。

「ジレンマ」に陥り、葛藤すること自体が悪いことでは、決してない。
葛藤することこそ、人間らしさだと思う。
しかし、限られた視点だと、それはただの矛盾になってしまい、
ただの”ゼロイチ”の2択を迫られることになる。

いつも覚えておきたいと思うのは、
引いた視線で見ると、一見相反しているように見えるけれども、
実は根っこが繋がっている複数の事柄が存在するということ。
そのジレンマを乗り越えた先に、「美しい理論」が有る場合があるということ。
(もちろん、そんなものは無い事も多いけれども。
 あるいは、二つともそのまま両立しなくとも、AでもBでもない、
 でもどちらの意見の人も納得するようなCを見つける事が起こりうること。)

自分自身で悩む。葛藤する。
でも有る瞬間、ぱっと目が覚めたような、急に視界が広がったような、
そんな感覚を味わう瞬間が、ごくたまに、ある。

その葛藤を乗り越える理論こそ、
「自分自身の物語」の中核を成すものになる。


そろそろ、1月も終わり。
就職活動が忙しくなる人も多くなると思う。
就職活動をする人の多くが、様々な板挟みに遭い、
「ダブルバインド」に悩まされると思う。

教育機関に、社会の予備校になれと言うことでは決してないけれど、
「これまで」と「これから」の評価や考え方のギャップに不安になる人は多いと思う。

本当の問題は、そこに「ダブルバインド」に陥る何らかの理由が有ることが、
きちんと認識されていないことだと思う。
その理由がすべて、若い世代のせいというわけでは絶対に、ない。

その理由を直視して、
現状のダブルバインドを乗り越える理論を考えること、
そして、これからの若い世代のために、それを埋めるには
どうしたらいいのか、を考えることが大切なんだと思う。


生きている限り、様々な経験をし、事実を突きつけられる。
それをいかに捉え、自分自身の物語として消化して行くか。

誰もが、自分自身という学問に対する理論家だ。
そして現代に生きる我々にこそ、
理論を導くための、「物語を創る力」が求められている。
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by ton2_net | 2013-01-22 00:33 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

知ることは怖い事

大学の時、飲み会の後で、どういう文脈だったか、友達が
「知るってことは怖い事でもあるよね。
 一回知っちゃうと、もう後戻りできないから。」
というようなことを言ったことがあった。
なるほど、と思った。

ルーズベルト大統領が、原子爆弾の開発に踏み切るきっかけになった
「アインシュタイン・シラード書簡」がある。
まだ「核分裂」すら発見されていなかった時代に、
シラードは今の核兵器、原子力発電を可能にする根本的なアイデアに気づいた。

シラードは、信号待ちの間に、核について思いを巡らせていた。
信号が青に変わり、人々が歩き出した。
シラードも前へ踏み出した。
その時、シラードはふと思った。
中性子を打ち込む事によって、さらに多くの中性子を吐き出すような物質があれば、
ねずみ算式に反応が起こり、エネルギーを得る事ができるのではないか、と。

人間の脳は、コンピュータに比べると、はるかに省エネにできている。
それは、一般的なコンピュータが
ノイズを抑えることに大部分の電力を費やしているのに対し、
人間の脳はそのノイズをうまく利用して発想しているからだと聞いた事がある。

「ノイズ」だから、ほとんどは意味の無い思いつきになってしまうけれども、
自分が意図していなかった重要なことを思いつく事が可能な機構であり、
その一部が「大発見」と呼ばれる。

この時のシラードも、そんな何億分の一かの可能性で
ノイズが、シグナルに変わった瞬間だったのだろう。


この思いつきは、その後、マンハッタン計画へとつながっていく。
ユダヤ人のシラードにとってナチスがアメリカよりも先に核兵器を持つ事は、
なんとしてでも食い止めたかったことだったに違いない。

きっとシラードではなくても、他の誰かがここに至ったのだろうと思う。

とにかく、人類は(原子核というものについてほとんど何もしらないまま、)
核力という莫大なエネルギーを得る方法を知ってしまった。

一度知ってしまったら、知る前の状態にはもどれない。
その知を、いかに使って行くかを、考えるしかない。
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by ton2_net | 2012-04-15 03:05 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

「41Alが、そっと教えてくれる」の巻

理研BigRIPSで実験中。
今、加速器Tuningでビームが止まっています。
金曜日に実験終わる可能性が濃厚になってきました。
応援、行けるかな?(車に乗れるかな?)

この実験は、色々やってるけど、
48Caを加速して、Beのターゲットに当てて、
48Caがぶっ壊れて色々な物を作る、という実験。
(目的はそこじゃないけど。)

どんな原子核ができているのかな、ということを確認していたら、
いつもお世話になっている阪大の先輩が、
「お。41Alもできてるじゃん」
と言った。
「珍しいんですか?」
「いや、41Alって、48Caから陽子だけ7個抜く核だからね。
 ほら、核図表で見ると、48Caの真下でしょ。
 へぇ、出来るんだ。」
と言う話をしてくれた。


どういうことかと言うと、赤玉(陽子)20個と白玉(中性子)28個をくっつけたものを
なんかにぶつけて、そうすると、赤玉や白玉が何個ずつかぼろぼろ取れて、
最初とは違う玉の塊になる。
(でも赤玉白玉はとてもしっかりくっついているので、全部バラバラにはなりにくい。)
そのときに、たまたま、赤玉だけ、7個とれてしまってあとはそのまま、
ということが起こるというのである。

これは、とても低い確率で起こることなのだけれど、
元の玉を、なにかにぶつける、という事象がたくさんあれば、
確率が低くても、それは起こるのである。


昨日からやっていたことが今日の朝にまとまったので、良い天気の中を散歩してみた。
ま、眩しすぎて、目が痛いっす…。

八百屋で、みかんを買った。
公園で小さな子どもが遊んでいた。

すごく、のどかな朝10時だった。


確率が低いのなら、できることはぶつかる回数を増やすことだけだ。
そして、それが十分であれば、きっとそれは、起こるのである。
41Alが、それをそっと教えてくれた。
e0126903_2051735.jpg

核図表 横軸は中性子(白玉)の数、縦軸は陽子(赤玉)の数
48Caの真下に、41Alがある。
"Chart of Nuclides"より

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by ton2_net | 2010-12-07 20:14 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

story telling

本当だったら、
「こういうことを知りたいから、こういう実験をやろう」
「で、やったら、こういうことがわかった」
という流れに沿うべきだと思う。

しかし、その業界のことを知らない一学生は、
業界に飛び込んだばかりのときは、その業界に詳しい別の人(担当教官だったりする)に、
「こういうこと、やってみたら?」
と提案してもらい、試行錯誤することが多い。

試行錯誤するうちに、
「どうしてこの研究をやらねばならぬのか」、
「このテーマに関して、今まではどこまでわかっているのか」、
がわかってくる。

物語は、あとからついてくるのである。
というよりは、物語を作る(導く)こと自体が、研究の本質なのかもしれない。


研究も、文章を書くことも、映画をとることも、
「この世界を切り取って(選んで)、物語を語る」
ことのように思う。

多分、結果もそうだけど、学部や修士の発表の時に評価する先生が見ているのは、
ちゃんと”物語が語れているか”という所が大きいような気がする。

詳細なところも、もちろん大事だけど、
「こういうわけでこういうことがしりたかったので、
 こういうことをした結果、こうなりました。
 ここから導かれるのは、こういう可能性です。」
という一本の芯が無いと、発表しても訳の分からない物になってしまうような気がする。



もしかしたら違うかもしれないけど、今から数ヶ月で実践して、
違ったらまたここでお知らせすることにします。
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by ton2_net | 2010-11-23 00:47 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

帰ってきた

火曜日から、和光市の理化学研究所へ実験準備のために滞在していた。
理研は、宿舎も食堂も申し分ない。素晴らしい。

実験準備の方は…。
なんとか、間に合ったと思います。

去年に引き続き、この理研実験の検出器の一部を担当。
一応「取りまとめ」役ということであったが、
あたふたしていた。

でも、去年よりはましだったように、思う。たぶん。

しかし、去年自分で調べて勉強したところがまたわからなくて、
話を聞いて「あっ、そうだった!」と思うところが何回かあった。
そういう時は、大変に悔しいものですね。


明日は朝早くから八王子へ向かいます。
寝ます。
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by ton2_net | 2010-10-29 21:44 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

飯島 澄男さん講演

僕は岩井ハーフマラソンが有るので出られませんが、どうですか。
楽しそう。




──────────────────────────────────────
科学と音楽の響宴2010
http://www.kek.jp/ja/event/concert/2010.html
──────────────────────────────────────
今年も科学にまつわる講演とクラシックコンサートのコラボレーション
『科学と音楽の響宴』がKEK/つくば市/つくば都市振興財団の共催
により行われます。

今回は、カーボンナノチューブの発見者である飯島澄男氏による講演
とヴァイオリン・ピアノ・チェロによるコンサートを予定しています。皆様
ぜひご来場ください!

主催:高エネルギー加速器研究機構(KEK)

日時 :平成22年11月14日(日) 13:30 開場/14:00開演
会場 :ノバホール(〒305-0031 茨城県つくば市吾妻1-10-1)

---アクセス
--------------------------------------------------------------------
http://www.tsukubacity.or.jp/info/modules/tinyd1/index.php?id=4

●電車の場合
TXつくばエクスプレス つくば駅(終点)下車 A3駅前広場出口  
秋葉原―つくば駅間 1,150円

●常磐自動車道の場合
桜土浦ICより約15分桜土浦ICより桜・学園都市方面へ。2つ目の歩道
橋のある交差点(大角豆(ささぎ))を右折して東大通りを北へ約3km。
途中片側2車線から3車線に。3車線になってから3つ目の交差点(学
園東)を左折、2つ目の交差点を左折すればカピオです。

●高速バスの場合
東京駅八重洲南口高速バス3番乗り場より毎時15分間隔で運行中
「つくばセンター行き」つくばセンター下車 所要時間約70分 料金1,150円
※交通状況によっては70分で到着しない場合がありますのでご注意くだ
さい。
※ 高速バスの詳細については
関鉄学園サービスセンター 029-852-5666

●駐車場ご案内
お近くの有料駐車場をご利用下さい。駐車場の割引サービスは現在実施
しておりません。
-------------------------------------------------------------------------------

入場料: 無料
[往復はがきによる事前申込みが必要です。]

プログラム

【第1部】 講演「科学を楽しむ!」
講師:飯島澄男氏
(名城大学教授、AIST/ナノチューブ応用研究センター長、NEC特別主席研究員)
内容:高分解能電子顕微鏡開発と材料研究の専門家であり、これまで
数々の賞を受賞されている飯島澄男氏が、電子顕微鏡写真を使った
分かり易いレクチャーをいたします。

【第2部】 コンサート
演奏:瀬崎明日香(せざき あすか)[ヴァイオリン]
菊地裕介(きくち ゆうすけ)[ピアノ]
上森祥平(うわもり しょうへい)[チェロ]
曲目:シューマン ピアノ三重奏曲 第1番 作品63
ブラームス ハンガリー舞曲 第5番
ビゼー=フバイ カルメンの主題による幻想曲
ショパン ボロネーズ第6番 「英雄」 作品53
シューマン トッカータ 作品7  ほか

詳しくは、こちらをご覧下さい。
http://www.kek.jp/ja/event/concert/2010.html

<お申し込み>
往復はがきにてお申し込みください。
往信裏面に「参加希望人数(4名まで)」、代表者の「住所」・「氏名」・
「電話番号」、返信表面に代表者の「住所」・「氏名」をご記入の上、

〒305-0032 つくば市竹園1-10-1
(財)つくば都市振興財団
「科学と音楽の饗宴」係

宛にお申し込みください。(締切:10月22日必着)

※ 申込者多数の場合には抽選とさせていただきます。落選の場合
でも通知いたします。(11月5日までに返信はがきが届かない場合は
財団までご連絡ください)

※ 当選の場合、返信はがきが入場券となります。公演当日必ずご
持参ください。

※ 車椅子をご利用の場合、事前に財団までご相談ください。

※個人情報の利用及び取り扱い
本申込で記載された個人情報については、本イベント実施に当たって
の会場受付・確認に使用し、それ以外には一切使用しません。

<本イベントの問合せ先>
(財)つくば都市振興財団
TEL 029-856-7007
http://www.tsukubacity.or.jp

高エネルギー加速器研究機構(KEK)
TEL 029-864-5123
http://music.kek.jp
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by ton2_net | 2010-10-18 09:27 | 物理学 | Trackback | Comments(2)

なぜ鏡は、左右を逆にするが、上下は逆にしないのか

こんにちは。
今日は、「鏡」の話です。
「なぜ鏡は左右を逆にするのに、上下を逆にしないのか?」という問いは、結構”有名な”問いかけだと思うのですが、今日はそれについて説明してみたいと思います。

ではまず最初に、「振り返って後ろを見る」ことと「左右」の関係について話したいと思います。私は今、図書館でパソコンの画面に向かっています。少し振り返ってみましょう。
隅でいちゃついているカップルがいますね…。

また前を向いて、パソコンに向かいます。
さて、私が前を向いてパソコンに向かっている時、彼らは、私の「右」斜め後ろにいます。私から見て、右側にいます。では、振り向いたときはどうでしょうか。

…あっ、目が合いました。

とにかく、振り向いてみると、彼らは私の「左」斜め前に見えます。

さっき前を向いている時には「右側に居た人たち」が、後ろを向くと「左側」にいることになっています。これは、当たり前だけど少し面白いですね。私たちが、「振り返る」という行為をする時、「左右が逆になる」ことを経験する訳です。(もちろん、私からしたら振り向いても「右手は右手のまま」なわけですが…)

では、ここで鏡を取り出してみましょう。
(もちろん鏡くらい、いつでも持っています。)
鏡に映った彼らを見てみましょう。

…あっ、鏡の中で目が合いました。

とにかく、鏡の中で彼らは、パソコンに向かっている私から見ると「右側」に居ます。

さて、ここからが大事です。
鏡を使わずに、「右」斜め後ろの彼らを見るためには、私は振り返らないと行けません。後ろに目はないですから。しかし振り返ると、さっき言ったように「左右反転」が起こって、彼らは私にとっては「左側」に位置することになります。

では、鏡をつかうと、どうでしょうか。…そうですね。「振り返らずに後ろの彼らを見ることができる」んです。
すると、「振り返る=左右反転」をしないのに、後ろの彼らを見ることが出来る。
だから、「振り返ったら左側にいるはずの彼ら」が鏡の中では「右側に見える」。

それを我々は「鏡の中では左右が逆転する」と呼びます。
”逆転”とは、相対的なもので、「何と比べて?」を明確にしなければいけません。
鏡の場合には、それは「振り返った時の左右の位置関係」です。
振り返ったら左に居るはずのものが、鏡の中では右にいるから、「左右が逆になったぞ」、と言うのです。


では本題ですが、「鏡はなぜ上下を逆にしないのか?」
先ほども話したように、私たちが「逆にする」と考える時には、「鏡の中の位置関係」と「振り向いて見えるときの位置関係」を比べます。この「振り向く」ということが「左右反転」することに対応することは先ほど話しました。
では、もし「振り向く」が「上下の反転」も含んでいたら、どうでしょう。

それは、簡単です。
バク転して、後ろを向いて逆立ちした状態で静止すればいいんです。

その時に見える景色は、(彼らは逃げ出して、視界からいなくなるかもしれないが)
今まで見ていた者と上下が逆になります。

この景色と、鏡が映す景色を比べると、「上下」が反転していることになります。

つまり、「鏡はなぜ左右を反転して上下を逆にしないのか」という問いかけの答えは、「鏡が映す景色を鏡を使わずに見たい時には、左右を反転させるような動きで振り返るから」だということになります。

鏡は、「後ろの景色を、振り返ること無しに(左右や上下を反転すること無しに)見せてくれる装置」です。
「鏡はそこにある景色をただ映すだけ」で、それが逆かどうかというのは、それを見る人間が勝手に決めているだけです。


<考えてみよう>
・ 文字を書いた紙を鏡に映すと、左右が逆の文字になるのはなぜ?
ヒント:鏡に映す時に、紙をどうしてますか?

・ ボールがくるくる回っているのを、向かい合う二人が見ているとします。
  ボールが「時計回り」で回っているか「半時計回り」で回っているかは、二人とも同じに見えます。
  しかし、鏡に映すと「時計回り」で回っているボールは「半時計回り」で回っているように見えます。
  なぜですか?
ヒント:「私」に向かい合って座っている「あなた」の左右は、「私」の左右と比べてどうなっていますか?
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by ton2_net | 2010-10-15 17:03 | 物理学 | Trackback | Comments(2)

明日発表

明日はまた科学博物館へ。
眠い…
最終的に博物館に来館された方へ自分の専門分野に関する15分のトークを行おうというもの。
明日は準備段階ということで5分お話。
スライドの1頁目。
e0126903_0132276.jpg

まっきーさんに教えてもらったparticle zooから引用。
明日も寝坊しないように気をつけなければ…
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by ton2_net | 2010-07-22 00:14 | 物理学 | Trackback | Comments(0)

陽子は思っていたより小さいらしい

陽子は通説より小さいと示す実験結果
natureにも掲載されたようです。
どうなんだ…?
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by ton2_net | 2010-07-13 22:23 | 物理学 | Trackback | Comments(2)

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
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