カテゴリ:"言葉”( 55 )


漱石先生のお言葉を一つ

夏目漱石の書いた『愚見数則』の中に、こんな一節がある。
小智を用る勿れ。
権謀を逞ふする勿れ。
二点の間の最捷径(さいしょうけい)は直線と知れ。
うーん。すごい。
好きな言葉です。

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by ton2_net | 2015-10-30 12:07 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

目には見えない確かなこと

久しぶりに投稿。
個人的に、ある知人に向けて書いた文章です。
下から二行目は、ある小説家の言葉を借りました。
大好きな一文です。

ちなみにタイトルは金沢21世紀美術館で開かれたあるコレクション展の名前です。
展示もさることながら、このタイトルが素晴らしく、忘れることができません。
おそらく、「一番好きな言葉は」と聞かれたらこれを答えると思います。

興味の有る方、どうぞ。

************************************

「目には見えない確かなこと」

目には見えないけれど確かなことが、この世界にはある。

それは、言葉や形にすると消えてしまうけれど、確かに私たちの周りにある。

それを、似ているからと大抵の人は何かに置き換えてしまう。
でも中には「何かが違う」と、簡単な道を選ばずに考え続けようとする人がいる。

そういう人は、時には、簡単に置き換えてしまう人たちから笑われることもある。
確かに、要領がわるい、という見方もあるからね。


でも、きっとそれを見てくれる人は必ずいる。


「あきらめた」わけではなく、
「簡単な道を選ばない」ことを選んだことは、わかる人にはきっとわかるから。

「これでいいのか」と不安に思うときもあると思うけど、
 そうやって自分に問いかけ続けること自体が、
「目には見えない確かなこと」へ続く道の上にいることの道しるべなんだと思う。

楽ではないけど、「そこ」を歩いていてほしいなと思う。

自分も、そこを歩いていきたいなと思う。

それが、休み休みでも。
ほんとうにゆっくりとでも。


言葉にならない言葉で、声にならない声で。
それを探し続けていけたら、いいなと思う。
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by ton2_net | 2015-07-08 00:52 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

ほんの少しでも、伝わったら

自分の思いを完璧に他人に伝えることはできないんだと、
何年か前にふと気づいた瞬間があった。
それは、有る意味当たり前のことだけど、
元々心の中に浮いていたその感じが、
ふっと有る瞬間ぴったり自分の中で馴染んだように感じた。
多分、大学4年生頃だったと思う。

あぁ、そうだよな、と思った。
けれどもそれは「どうせ」と言う感じではなくて、
「そこから始めるしかないんだよな」という
地に足がつくというか、ほとんど前向きな感覚だった。

人の思いを完璧に形にすることはできない。
だからこそ、思いをいかに良い近似として表現できるかという命題が生まれる。


「伝えたいこと」があるから「伝えたいという思い」がわくのかもしれない。
けど、「何かを伝えたいという思い」があるから「伝えたいこと」が見つかるという一面もある。

「伝えたい」という気持ちを持つことは、仕事であれなんであれとても大切だ。
そして、そのための表現は、完璧を目指さなくてもいいんだ。

伝わらない。
自分の表現を見てもらうことすらできないかもしれない。

そこからスタートできれば、
「じゃあ、どうやったら伝わるだろう」
「そもそもどうやったら興味を持って振り向いてもらえるのだろう」
という思考をすることは、
苦しくも、楽しいものになる。

普通は伝わるんだ、だから伝わるものを作らなきゃ、というスタートは、
その時点でスタートがマイナスになっていて、辛い。

そうだ、いつでも、スタートは0なんだ。

0から初めて、そして本当に少しでも、
何か一つでも伝わった時の喜びは、なにものにも代え難い。


私たちをとりまく世界は、そして私たちの心の中は、
普段私たちが思うよりも、遥かに大きくて、深いと私は思う。

とうていそのすべてに光を当てる事はできないけれど、
やらなければ0なんだ。
それを、1でも2でもすくいあげて、
あわよくば、他の人に受け止めてもらえることができたら、
それは、なんて素敵なことなんだろうと、
そういう感覚をすごく久しぶりに思い出したので、
書き留めておこうと思いました。
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by ton2_net | 2011-10-22 11:08 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

自分の言葉で、自分の考えを

自分の言葉で、自分の考えを、人に伝わるように書く。
表現方法としては、どんなに拙くても、思いのある文章には暖かみが有る。
触れた後に、人の心に残る何かが有る。

技巧に優れていようが、体裁が整っていようが、
表現の本質は相手の心に届くかどうかだと、私は思う。
頭に届くことも大切だけれど、世界は本当に広いから、「そこ」でたくさんのことを伝えきるのはあまりにも難しい。

表現は、それを発する人から見た、「世界の窓」だから、
外の景色も持っと見てみたいと思ってもらえること。
もっと言えば、あっ、こんなことしてる場合じゃなかった、と本やPCやテレビの電源を消して、
自分が知りたい、見たい、成りたい自分に向かって行動を起こす原動力につながることが、
一番大切なんじゃないかと思う。


こちらに来てから、教員を引退されて、故郷で塾を運営されている方と知り合った。
私財を投じて地元の子どもの教育に取り組んでいる、とても情熱的な方だ。

ある日、この方の思う教育とはなんだろうということを尋ねてみた事が有る。
良い指導者はね、とその方は言った。
良い指導者の元で学んだ生徒は伸びる。
けれども、それは知識を詰め込むということではない。
本当の教育とは、「子どもの心の灯をともす」ことだと、
その方はおっしゃっていた。

何かを表現するということは、とりもなおさず「教育」につながっていると私は思う。
それは、何かを上から押し付けるということではない。
「すごい」と思ってもいいし、「最悪」と感じても良い。
なにか心の動きが、次の行動の原動力になるような、そんな力が表現には有る。

カルロス・ゴーンは、
「批判されると言う事は、何かをやっていると言う事だ」
と言った。
自分の言葉で、本当に自分の考えを言う事ができたら、
賛成してくれる人の他に、当然「そんなわけあるか」という人もいる。
それは絶対にそうだ。
それを怖がっちゃいけないんだと思う。
批判の無い表現、は限りなく何も言っていないことに近いのかもしれない。


もっと「自由に」表現したいと、強く思う。
色々なプレッシャーや、自分で作った囲いにとらわれて、
冷たい表現をしていると、この6月から感じる。
もっと自由に、柔らかい、温かい表現がしたい。
いつになったらそれができるのかはわからないが、
そこへたどり着きたいという思いだけは消えない。
大変だけど。


最近、退勤時間になったら一旦会社を出て、走って、
また会社へ行く生活がつづいている。
会社で氷嚢を使って足を冷やしたりしている時、
i研究室となんらかわんないなと、ふと思ったりする。
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by ton2_net | 2011-10-20 01:32 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

はやいもので、

いや。もうはやいもので新年も10日ですか。
今年もよろしくお願いします。

2011年ですか。今年いよいよつくばともさよならバイバイなわけですね。
(卒業できれば)
なるほどね。


何を書こうかなぁ〜。
最初のブログなのに、ぐだぐだだなぁ〜。

というわけで、春にはヨーロッパに行くかもしれません。
軽い冬山にも行くかもしれません。
卒業旅行は、噂のNOTOかもしれません。
あと春合宿行きたいです。

It may be.

残り数ヶ月の学生かつ(卒業できれば)ですが、
暇な人、絡んであげてね。
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by ton2_net | 2011-01-10 18:54 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

野菜

カレーを作る時に、タマネギと肉いためて、ジャガイモと人参電子レンジであっためて。
それから水を入れて煮るじゃないですか。

その時に、ルーを入れる前に、一口味わうことにしてます。
その煮汁を。

そうすると、肉いためる時にちょっと塩、こしょうかけただけなのに、
ちゃんと味がするんですね。
肉と、野菜の味が、溶けて出てくるんですね。

多分、世の中味付けが濃すぎますよ。色々と。
自分自身、いろんな味付けし過ぎだと思うときが、たまにあります。

もっと、そのままの、優しい味で勝負して行けたら、
もっともっと面白いことができるんじゃないかって、気がするときがあります。
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by ton2_net | 2010-10-12 21:45 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

「私にとっての博物館」

科学博物館で行われている集中で、
「私にとっての博物館」という課題エッセイが出されました。

人気投票の結果、24作品中栄えある一位に選んでいただいたので、
ここに自慢の意味を込めて掲載します。
(名前公表されなくて誰もほめてくれないんだもん。)

いや、でも非常に嬉しかったです。
KFC+ホワイト餃子+ビールの誘惑に打ち勝ち(結局食べて、一缶飲んだけど)、
書いた甲斐がありました。

おじいちゃんとの良い思い出です。
書いていて、もういないっていうことがちょっと信じられませんでしたね。
では長いですけど、どうぞ。


「私にとっての博物館」

亡くなった祖父の形見として、私は一つの石を持っている。
上品な青をたたえた銀色の光沢を放つこの石を見ると、私はいつも祖父を、
そして祖父が自宅のはなれに作った”石の博物館”を思い出す。

初めてそこに入ったのは、小学生の夏だったと思う。
外の夏の日差しや、蝉の鳴き声とは対照的に、その部屋は暗くひんやりとしていて、
驚くくらいに静かだった。
石集めが趣味だった祖父は、その部屋に実に様々な石をコレクションしていた。
水晶のように透明できらきら輝くものや、エメラルドのようなはっとする緑のもの。
木がそのまま固まったような珍しい石も有った。
その部屋に入った私や、兄や妹は、見た事の無い石の数々に魅了された。
手に取り、裏返したり、撫でたりした。
そんな姿を、祖父は部屋の片隅から終始にこにこと見守っていた。

祖父が亡くなったのは、私が大学に進んでからだった。
寮の部屋で訃報の電話を受け取った私は、翌日のお葬式の時間を確認して電話を切った。
窓の外から、気の早い秋の虫の声がした。
ふと、あれはどこだったろうと思って、祖父の形見の石を探した。
引き出しの中にそれはあった。
最後に祖父に会ったのは病院のベッドの上だった。
別れ際、陽気な祖父が肩を震わせていたのが忘れられない。
でも、その石を見た時に思い出したのは、まだ元気だった頃の、
”石の博物館”館長である祖父だった。
にこにこして、いつも冗談ばかり言っていた祖父は、本当に石が好きだった。
私は、祖父から石の名前や解説を聞いたことは無い。けれども、石を眺める優しい目。
新しく仕入れた石の台を自作する時の真剣なまなざし。
そして、コレクションの中のいくつかを私たちに手渡してくれるときの嬉しそうな表情が、
それを語っていたと思う。

博物館には、形あるものが展示される。
言葉による説明が添えられる。
けれども、良い博物館は、それらを通して、形や、言葉で表せない大きなものを、
来館した人々の心の中に残すことができるのだと思う。
祖父の”石の博物館”のひんやりとした空気や、石に囲まれた空間の独特な雰囲気。
そして何より、そこにいた祖父を、私はありありと思い出すことができる。
展示物の名前なんか、内容なんか覚えてなくたっていい、と私は思う。
画面の向こうや写真に見るのではなく、実物として並ぶたくさんの展示品。
それらに囲まれることによって生まれる独特の空気。
館内のざわめき。
そういうものが、知らず知らず、少しずつ、心の中で私たちの一部に成ってゆく。
私にとっての博物館は、そういうものだ。
祖父が私を作ったし、彼の博物館が私を作ったのだ。
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by ton2_net | 2010-08-02 22:51 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

「キッチン」を読んでみてね

”坊っちゃん”には”きよ”がいるが、”桜井みかげ”には最初、"台所"しか無い。

この違いが、現代の若者の孤独をよく表しているのだ、と何かの本に書いてあった。
吉本ばななの「キッチン」には、身近な大切な人の死を経験してしまった主人公みかげと
みかげの居候先となる家の一人息子、雄一の心の交流が描かれる。
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続編の「満月-キッチン2」で、みかげがカツ丼屋から旅行中の雄一に電話をかけるシーンがある。
表面上は何気ない会話を続けながら、みかげのカンは、「ぞっとするほど」冴えるのである。

二人の気持ちは死に囲まれた闇の中で、ゆるやかなカーブをぴったり寄り添って回っているところだった。
しかし、ここを越したら別々の道に別れはじめてしまう。
今、ここをすぎてしまえば、二人は今度こそ永遠のフレンドになる。

間違いない、私は知っていた。

でも私はなす術を知らない。それでもいいような気さえ、した。
(p.123)


みかげは電話を切った後、ものすごい脱力感に襲われ、
「ふれあう事の無い深い孤独の底で、今度こそ、ついに本当のひとりになる」
のだと感じる。
しかし、その後出された「すごいおいしさ」のカツ丼を食べた時、
みかげは衝動的に言っていた。
「おじさん、これ持ち帰りできる?もう一つ、作ってくれませんか。」

みかげは、届けたカツ丼を食べる雄一を見て、「やるだけのことはやった」という気持ちになる。
そこで選んだ彼女の「なす術」は、「素直に語る」ことだった。
先を考える事もやめて、ただ心の中にある言葉をすくい上げて言葉にする事だった。

そして物語は完結へ向かう。
雄一は決断し、みかげは「すべての答え」を感じ取る。



「恋愛」の定義を、早稲田大学の日本近代文学研究者 石原 千秋は次のように語る。
『ノルウェイの森』は、「ワタナベトオルの物語」と「直子の物語」が葛藤した錯綜体だったのである。
繰り返す。文学はそれを恋愛小説と呼ぶ。
そして、この錯綜した二つの物語を、「恋愛」と呼ぶ。
(石原 千秋「謎解き 村上春樹」p.327)


「交わる」や「沿う」ではなく、「錯綜」(複雑に入り組む事)という表現が、
リアリティを増している気がする。

みんな、一人一人が、本当に様々な事を考えて、
真剣に悩んでいる。
「錯綜」まで行かなくとも、大学に入っていろんな人と道を
交えたり、沿わせてもらっている気がしている。

他人と100%分かり合うことができないとしても、
人は誰でも死ぬとしても、
どうせ100億年先には地球は膨張した太陽に飲み込まれるのだとしても、
それは素敵なことで、嬉しい事だと思う。


そんなことを考えるきっかけになる(かもしれない)「キッチン」。
ぜひ読んでみてね。(貸し出し可)
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by ton2_net | 2010-07-25 21:09 | "言葉” | Trackback | Comments(4)

買い食いについての作文

イーアスの映画館で「告白」を観ました。
松たか子さんは、やっぱり綺麗ですね。

どうでも良い話だが、イーアスに「BAD ASS Coffee」という店が有る。
”イーアス(良い明日)”なのに、”BAD ASS(悪い明日)”か、といつも思ってしまう。


夜、家庭教師先のお宅へお邪魔する。
今日は”定常授業”ではなく、宿題作文の指導。
「私の主張」という題で作文を書けという。

生徒のT君は、テーマに「買い食いについて」を選んでいた。
”買い食いってダメだと言われるけど本当にだめなのかな。
 よくよく考えてみたら、やっぱりダメだと思います。
 これからも買い食いしないようにがんばるぞ。”
という感じの構想を練っていた。
買い食いがテーマというところが面白い。

けれども、”買い食い”だけで終わってしまっては面白くないので、
”学校のルール”について書いてはどうか、という提案。

学校のルールは、「なんでか知らないけど、これをやったら立派なワル」みたいな
ルールがちらほら有る。
”そこで、こういうルールを鵜呑みにして、いやいや従うのではなく、
 何事にもいい面と悪い面があるのだから
 疑問に思ったらどっちも考えてみて天秤にかけて、
 納得するまで考えてみたら良いのではないでしょうか。”
という(青少年的な)論調にした方が広がりが出ていいのではないかな、とお話した。
(納得できなかったらどうするのかなぁ、とかちらっと思ったりしながら。)
テーマの”買い食い”を一例にして、もう少し広い”学校でのルール”についての主張に
したらどうか、ということだ。

作文は月曜日発表らしいので、土曜日にまた行って、添削することに。
どんな文章になるのか楽しみだ。

他の人の文章の組み立て方を見ることは、
自分の文書の組み立て方を見直す良い機会である。
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by ton2_net | 2010-06-25 00:29 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

沈黙は金、

「沈黙は金、雄弁は銀」と言う言葉があるが、
銀の上に金があるとしたら、
雄弁の向こう側で、沈黙の本当の意味が分かるのかもしれない。
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by ton2_net | 2010-04-14 23:58 | "言葉” | Trackback | Comments(0)

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
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