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カテゴリ:その他色々( 145 )


2017年の元旦に感じたこと

あけましておめでとうございます。
ことしも、どうぞよろしくお願いします。

去年、結婚しました。
結婚というか、入籍をして、
ことしの2月に結婚式(親族のみ)を挙げるのですが、
年越し・新年は奥さんの実家で過ごすことにしました。
岡山に、実家があります。
のどかで、本当にいいところです。

東京だろうが、実家のある三重だろうが、
結局場所がかわってもだらだらと過ごしているのですが、
「結婚」ということの面白さというのか、
不思議さに色々と気付かされます。

こういう新鮮な驚きは、
そのうちなくなっていってしまうと思うので、
つらつらと書き留めてみます。

「結婚」するということは、
配偶者という家族が増えるということと同時に、
「家」制度的には、配偶者(奥さん)の家族も家族になる、
ということであります。

こう書くと当たり前なんですが、
どうも、すごく不思議な感じがします。
これまでは、なんの接点もなかった色々な人の中に、
いきなり飛び込んで、さも当たり前のように生活するというのは、
なかなかどうして、面白いものです。

幸いにして、本当に奥さんの家族はみなさん良い方ばかりで、
全然遠慮しないで楽しく過ごせているのですが、
(もうちょっと遠慮したほうが良いかもしれません)
かつての(今でもあるか)「お嫁にいく」というのは、
大変なことなんだなあと思ったりもします。

昨日(12月31日)は、おせち料理の仕込みを手伝って、
きょう(1月1日)に奥さんの親戚一同が集まって、
大宴会(と呼んでもいいであろう、という感じの規模)が
執り行われました。

楽しく食べて飲んでしていて、思ったのは、
自分や、自分の家族というのは、
外からみないと本当にはわからないんだな、
ということでした。

家によって、本当に考え方も、
文化も風習も、全然違います。

自分は、自分の家のことしかしらなかったんだな、と
きょう初めて思いました。
特段、何があったというわけではないのです。

ただ、食べて飲んで笑っている中で、そう感じました。
それは、やんわりと、でもとても強い「気づき」でした。


生きていくごとに、いろんなことを体験して、
知らなかったことを知ることになります。

それは、真っ白だったところが、急に埋まるという感じではありません。
これまでも「見えている」と思っていた景色がぶうんと精彩になって、
その景色の中に、まったく新しい何かが見えている、といった感じです。
(科学の世界ではこれを「分解能を上げる」と表現します。)

これまで自分が知っていたと思っていたこと。
もうこれ以上、発展することがないと思っていたこと。

でも、うれしかったり楽しかったり、
悩んだり迷ったりしていく中で、
そこにまた「新しい見方」が生まれるんだなと思いました。


ちょっと抽象的になってしまいしたけれど、
ちょっと、思ったことを書いてみました。
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by ton2_net | 2017-01-02 01:11 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

「ゆかりの町」になる過程

e0126903_17521507.jpg
きょう、駅へ向かう途中の道で、
ひらひらと、「つがい」の蝶が飛んでいるのを見た。
よほど夢中なのか、結構近づいて写真を撮っても、
全然逃げようとしない。

なんだか不思議な光景だなと思った。

ほどなくすると、急に片方がすっと離れた。
そのとき、ふと思ったのは、


東京にいるんだなあ。



ということだった。
なぜだか、全然人気のない住宅地で、
そんなことを思ったのだ。

東京に越して来て、ひと月になる。
それまでは東京の、板橋という町に住むなんて
全然、予想もしていなかった。

ましてや、10年前にこの未来が想像できたか。
絶対に無理だよね。
だからきっと、10年後も、
「まさかこんなことやってるなんてね」
というようになっているのに、違いないと思う。


これまでに、5回引越をした。
一度目は大学に入ったとき。
そして市内で2回引っ越し(当時入っていた寮の関係だ)、
就職してから広島・福井へ。
それで、今回、東京にやってきた。

市内での引越を含めても、
やっぱり、知らない町に来ると言うのは、
なんとなくそわそわして、
それでいてわくわくする。

それで、自然と「よそ」だった町が、
「ゆかり」があるように感じて来る。

東京なんて住みたく無いよ、なんて、
けっこうずっと思って来たものだが、
来たら来たで、悪く無いと言うか、
なんかこれまで想像して来た「東京」と印象がまた違う。


先日、僕と奥さんと、
大学の友達のいっしょむくん夫妻と食事をした。
自由が丘というところにある、
こじんまりとした雰囲気のいいお店で、大変楽しかった。

帰り道、その日が日曜日と言う事もあったのか、
町は結構ひっそりとしていて、
案外、いいところだなあと思った。

こうやって、「いわゆる東京」という場所で、
一つ一つ思いでが増えていって、
それで段々、「ゆかりのある町」になっていくのだろう、と
なんとなく思った。



きょうから、おそい夏休みです。


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by ton2_net | 2016-08-25 17:51 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

カレンダー制作も無事、

ここ数年、手帳を買っていない。
自分で、カレンダーを作って印刷し、
ノートに貼っている。
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大学時代、暇に任せて作ったNumbersシート(MacのExel的な)。
月の最初の日を入れれば、日付が自動で計算されてその年のカレンダーができる。
基本、前の日付に1を足して行けばいいだけだが、「32日」とかにならないように、
「そうなったらその月の日数を引け」みたいなことが書いてある。
…ひまだったんですね。
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2016年の祝日一覧。
ここを参照して、カレンダーの日付右上に、自動で書き込まれる。
「山の日」なんてあったっけ?と思って調べてみると
2014年にできていたらしい。
去年は無きものとされていました。

ハッピーマンデーがあるので、毎年調整が必要です。
(春分の日、秋分の日も毎年固定じゃないですね。)



今年は、年末年始にちょっとした仕事があって、
「仕事納め感」がありません。

が、それでも、やっぱり、
年賀状(仕事でお世話になった方)を出し終え、
カレンダーを作り、
仕事机の掃除をすると、
なんとなくふーっと気持ちが軽くなる感じがあります。

大晦日だって、365分の1でしかないはずだけど、
やっぱり生きて行く上で「区切り」というものは必要だなと思います。
自分や周りの人の中で、365分の1をうまく区切って行けたらいいですよね。

そういえば来年は、366分の1ですか。

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by ton2_net | 2015-12-29 08:34 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

石油ストーブがあったらな

なんとなく、石油ストーブって敷居が高い。
火事の危険性もあるし。
石油買いに行くのめんどうくさいし。

でも、時折、
「ああ、石油ストーブ欲しいなあ」
と思う時がある。

基本、冬にエアコンは使わないので、
オイルヒーター?とかこたつとかで過ごす。

でも、なんか、ぱあっとあったかくならないんですよねえ。
石油ストーブって、いいよねえ。

給食のパンとか焼きたいです。
職場も、石油ストーブにしてくれないかな。
…無理ですね。

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by ton2_net | 2015-12-14 01:00 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

『スターシップ・トゥルーパーズ』の感想

『スターシップ・トゥルーパーズ』という映画を見た。
感想としては…なんだか感心しないなあ、と思った。
好きな人いたら、すみません。

他の惑星の「昆虫型宇宙人」との宇宙戦争を描いた作品である。
昆虫型宇宙人の攻撃で、ブエノスアイレスが壊滅。
故郷を失った主人公(連邦軍所属)は敵の殲滅を誓う。

自分も主人公と同じ立場に立ったら、同じ行動をする可能性はあるのだが、
立っていない立場から感じた事を書くと、
すごく「やられたら!やり返せ!イェー!!」的な映画だった。

最終的に、敵のボス的存在をとらえて終わるのだが、
(すごく気持ち悪い生物として描かれている)
映画のラストは、そのボスの「分析」ということで、
棒状の機械を、直接ボスの体に突き刺しこんでいました。
拷問的な。
(機械で直接ボスの心理を読み取る、とのことでしたが。)

ボスが苦しみの声を上げる
→みんなも戦おう!勝利が待っている!
 的な兵士募集CM的な映像で終わる…という構図になっていた。

Wikipedia を見ると、
監督いわく「ナチスドイツのプロパガンダ映画のパロディ」とのことだ。


映画では、敵はわかりやすい昆虫の姿をしていた。
相手が、人間でも…、やっぱり同じことをするのかなあ。

「自分を責めて来た人々は、
 (多くの場合、攻撃に参加していない、同じコミュニティの人たちも含まれる)
 人間じゃない」
みたいになるのか。

なんか、その辺りへの言及は無く、
見終わった後、うーんと心にひっかかる感じがした。

…そういうことを考えさせる構成なのか。
そうでも無い気がするが。

とはいえ、ついつい、
最後まで見ちゃったんだけどね。

そういうのを見たい、という気持ちも、
もちろん自分の中にあるのである。

ただ、ちょっと気をつけたいと思った。
何がと聞かれれば難しいけど、
何か、ちょっと、防御線を張ろうと思った。

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by ton2_net | 2015-11-24 01:00 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

米はペットボトルに

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お米はペットボトルに入れて保存している。
昔、虫が出て来て悲しい思いをしたので、2年前くらいからはじめている。
専用ろうとで入れて(売ってるんですねこれが)、冷蔵庫の中で保存。
米も息をしているということらしいので、少し穴をあけたりして。

しかし、新米はおいしい。
昨日の夜も、つい一合食べてしまいましたよ。
食べ物がおいしいって言うのはいいことだね。


最近、職場の後輩たちと家で鍋をした。
ことし初鍋だったが、本当に美味しかった。
土鍋とカセットコンロから始まるものがあるよね。

大学の頃を思い出した。

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by ton2_net | 2015-10-22 06:20 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

好奇心と「原人登山」の話

「好奇心」という言葉で連想するのが、
「原人の登山」なのである。


原人の時代なので、登山とかもう頭おかしいとか思われている。
毎日、生きて行くだけで精一杯なのに。
でも、原人はどうしても登りたいと思ってしまう。

きれいな奥さんもいる。
かわいい子どももいる。
仕事も軌道に乗り始めた。
(矢尻作りとかタロ芋栽培とか。)

自分でも馬鹿だと思う。
それでもタロ芋畑から見える、あの山に登ってみたいと思う。
そう思うのは、山の向こうに何が有るのか、見てみたいと思ってしまったからだ。
原人は、海と山にはさまれた集落で産まれた。

みんなその集落で産まれて、その集落で死んで行く。

長老は、祖先は海からやってきたのだと言った。
山をこえたものはいないし、越えようと思うような愚かな人間もまた、
これまで一人もいなかったのだと。


夜明け前、原人は妻や子ども達を起こさないように、そっと家を出る。
かやの家を出るとき、もう一度だけ家族の姿を目に焼き付ける。
家を出て、南に向かう。まだあたりは暗い。

大きな鳥の鳴き声が聞こえた。





…これが「好奇心」という言葉を聞いた時のイメージです。

原人はどうなったんだろう。
ちゃんと山に登れたかな。
山から、何が見えたかな。
無事に帰れたかな。
帰って来て、家族や村の人に何を話したんだろう。

きっと、誰に何を言われても、どう思われても、
もうどうしようもない「衝動」を実行してしまう人が
何かを少しずつ変えて来たんだろうなと思います。
(良い方向とは限らないが。)

どんなに小さくてもいい。
誰に何を言われても、でも自分はこれをしてみたい、と思う何か。

走ることかもしれない。
何かを書くことかもしれない。
絵を描くことだったり、
もしかしたら、子どもを育てることだったりするのかもしれない。

自分の中の、そういう「声」に耳を塞いでしまわないで、
ちゃんと聞く耳を持ちたいなと思う。

それをやるかどうかは別にして。






多くの人々が行き来する道。
海を背にして、採れた海草や魚を運んでいる男がいる。
広い土地で育てた農作物を、海に向かって運んでいる人もいる。

彼らの足下をよく見てみると、高く延びた草に埋もれて、
人々から忘れ去られた小さな石碑があるのがわかるだろう。

そこに書かれている文字は、もう風化して誰にも読むことができない。
あるいはそれは、ここを初めて通った、あの原人の名前だったかもしれない。
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by ton2_net | 2015-10-21 16:03 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

電子レンジみたいに

高校二年生の今頃、
受験を終えた陸上部の先輩が久々にやってきて、一緒にジョギングをした。
やたら「暖かいなぁ暖かいなぁ」と言うので、
今日結構寒いですよと言うと、
「ばか違うよ。暖房とかじゃなく、
 自分の内側から発熱して暖まる感覚を味わっているのだよ」
と言った。

その先輩はフルカワ君と言って、ものすごくストイックに練習をする人だった。
練習のみならず、「バトル・クールダウン」などと訳の分からない理論を打ち出しては、
「常に勝負する心を持つことだ…」とまことしやかに語っていたフルカワ君が、
ほのぼのとそんなことを言うのがおかしかった。

冬の寒さが緩んで来る今頃に、土のグラウンドなどを見ると、
そういうことがしみじみと思い出されることがあるのだが、
この話から連想して、僕は毎回「電子レンジ」について考えてしまう。
電子レンジの理念というか、仕組みというのは、
実は結構奥深いものなのではないかと思う。

電子レンジは、モノに電磁波を当てて、
モノの中の水分子を振動させてその熱でモノを温めるのだ。
コンロのように外から熱を直接加えるのではない。
モノ自体の内側から細かな振動を引き起こして熱を生み出しているのだ。
夜中に冷凍たこ焼きを温めるぶーんという音を聞きながらそういう事を考えると、
なんだか感慨深いものがあるよね。


…で、別にこの話が何だということは無い。
無いのだけれど、何故か一昨日の3月11日にぼんやりと考えていて、
今もずっとひっかかっている。

なぜだろう。

わからないけれど、「自分で考える」ことをあきらめたくないな、
となんとなくそういう気がしている。

よくわからないけど。
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by ton2_net | 2014-03-13 18:36 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

目印

目印。
天気がよかったり、
ちゃんと道が見えていたり、
そういう時には、目印なんて必要ないと思ってしまう。

「何を、当たり前のことを」と、
思わず笑ってしまうようなことも、あるかもしれない。

でも、本当は、きちんとした道になっているところは、
ほんの、一部でしかない。
ひとたび道から外れて、そのことに気づく。
本当に広くて、自分は小さくて、そして無限の選択肢の中に埋もれてしまう。

「今までの普通」が、「普通じゃない」ことに気づく。

そんな時に、目に入る目印は本当にありがたい。
歩く距離も、労力も全く同じでも、
「この道を進んで良いんだ」と思える何かがあれば、
急に気持ちが楽になる。
びっくりするくらい、楽になる。

私たちの生活の中にあって、
「そんなこと」と、
つい笑ってしまうような当たり前のこと。

でもね、生きていると、
「当たり前の事が、当たり前でない」ことが
いつ、何時来るかわからない。
そういう時、笑っていた何かが、自分の支えになる。

かといって、毎日毎日「当たり前」にしがみつく必要はないけど、
そういう当たり前に出会ったら、にこっと笑って、
一言挨拶くらいするような、そういう気持ちはあってもいいかな、と思う。

私に取っての大切な目印。もの、こと、そして人。
私も誰かの、そんな地味でも大切な目印に、なれているだろうか。
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by ton2_net | 2013-03-12 00:50 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

高校の廊下で”ハンドスプリング”を練習したこと

あけましておめでとうございます。
どうも最近腹筋のあたりが痛いなと思っていたら、どうやら、
年末から年始にかけていろんな人たちに会って笑いすぎて、
筋肉痛になってるみたいです。
本当に笑いまくった。


夕方、今年最初のブログに何を書こうかなと思いながら、
「走り初め」で実家の近くの小学校のグラウンドを走っていた。
そしたら、ふと高校の時に「ハンドスプリング」を練習していたときの話を思い出した。

高校二年かそこらだったと思うが、どうしても「ハンドスプリング」を習得したいと思っていた。

「ハンドスプリング」というのは体操の技で、「前方倒立回転跳び」とも言う。
つまり、だっと走って前のめりになって一回転してまた足で立つ技だ。

グラウンドとかでも練習してたけど、どうしても背中から落ちてしまって、立てずにいた。
初めてできたのが、なぜか学校の棟と棟を結んでいる、屋外の渡り廊下だった。
テスト期間中かなにか知らないけど、あんまり人もいなくてひっそりしていて、
教室に数人が残って勉強していたりした。

ふと暇だなと思って、渡り廊下に差し掛かったあたりで練習を開始してみた。一人で。
今思うと、結構やばいなと思う。笑

それで、最初何度かやってみたけどやっぱりだめだった。
なんでうまくいかないのかなぁ、と結構冷静に思った。
どうしても、着地のときに後ろに倒れて仰向けになってしまう。

で、なんか女の子にも目撃されて「ひっ」みたいな声を上げられたし、
もう帰ろうかなと思ってたときに、
もう一回だけやってみようかなと思った。

もう一回だけ。
これで失敗したらもうやめようと。

それで、なんとなく助走をつけて、もうそのまま前へ倒れる感じで手をついたら、
気づいたらちゃんと着地して、立てていた。
なんだ、こんなに簡単なことだったのかと思った。

今思うと、もうその時期なら、いつだって、それを成功させることはできたんだと思う。

たった一つ成功を阻んでいたのは、自分自身意外の何者でもなかった。

本当にできるのか?失敗したら痛いかも。
そういう、無意識の思考が、前へ倒れる前に踏み足にブレーキをかけさせていた。
ただ信じて、前へ倒れれば良かったんだと思った。
怖いのは、もうそれは自分では無意識のうちにくせになってしまうということ。

考えてみたら、結構いろんなことがそうなんだと思う。
「なぜできないんだろう」「何がわるいのか」。
わからずに何かを実現させられない状況で、
実は本当にそれを実現させることを躊躇している自分がいたりする。

厄介なのは、「切に望んでいる自分」も、「躊躇している自分」も、
本物の自分なのだということ。

ドストエフスキー(だったかな)が
「神と悪魔がいる。その戦場こそが心なのだ」と言っていたが、
神だけでも悪魔だけでもなくて、二つ同居できる唯一の領域が心なのだと思う。


この時習得したハンドスプリング。
その後高校のグラウンドとか、大学行ってもよく芝生の上でやっていた。
たまに夜走って、やっぱり一人で競技場でやったりしていた。
そうすると、あのときの「あ、できた」っていう感覚を思い出して嬉しくなったりする。

失敗したっていい。前のめりで。

言うのは簡単だけど、実は結構こわい。
背中を地面に打ち付けるのは、ほかならぬ自分だからだ。
でも、やっぱり「やるだけやって」というのがいいかもしれないと、
このハンドスプリングから教えてもらった気がしている。


今年もたくさん失敗すると思うけど、どうせやるなら、前のめりがいいと思う。
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by ton2_net | 2013-01-01 22:39 | その他色々 | Trackback | Comments(0)

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
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