どこへ行ったって同じ

昨日の夜にワンゲルのミーティング総括文を読んでいるときから、
「こいつはやばいぞ」と思っていたのだが、
案の定今日病院から帰ってくると、ゴルフボールがホールに落ちるように、コトン、と音がするように気分が落ち込んだ。

このように気分が落ち込んだときに感じるのは、”Black magic”は自分に跳ね返ってくる、ということだ。「アイツはダメだ。」とか、「アイツはキライだ。」とかそういう負の感情を持ってしまうと、いつかその攻撃力は、自分に跳ね返ってくるのだと思う。”他人は鏡”というのは本当に考えさせられる言葉で、人を傷つけるということは、鏡に映った自分を傷つけることなのではないかと思う。

人のことを悪く言ったり、思ったりするのは、結局、抑圧していた自分自身の欠点なのだと、早稲田大学の加藤諦三さんは言っていた。キライな人というのは、よくよく考えてみると、自分に似ている人だということが多い。それに気づいたとき、人は愕然とする。キライな人の中に、キライな自分を見出していると言うことに気づくからだ。逆に言えば、キライな人を受け入れると言うことは、自分自身の、懸命に見ないでおこうとしている部分を、受け入れるということでもある。

”Black magic”は跳ね返ってくると言う話をしたが、”white magic”も跳ね返るのだ、ということにも最近気づいた。人に優しくしなさい、と世のお母さんは言う。それは、「自分に優しくあれ」ということと同義といってもいいのかもしれない。


大切なことは、”目に見えないもの”の積み重ねだと思う。
サン・デグジュぺリは星の王子様の友達の蛇に
「本当に大事なものは目には見えない」と言わせているし、
孫子も、
「常勝するやりかたは、”無”になることだ」と言っている。

心細くなったときは具体性に頼ろうとしてしまうし、もちろんその場その場の具体的なものも絶対に求められるときはある。しかし、”形の無いもの”は、場所や時間を越えて、どんなところでも生きてくる。「ノルウェイの森」の中でみどりが父親に
「みどり、どこへ行ったって同じだぞ」と言われて
「そうかもなぁ」と子ども心に思うシーンが印象的に描かれている。

どこへいったって同じだ。自分次第だから。
[PR]
by ton2_net | 2008-02-18 18:04 | その他色々 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://ton2net.exblog.jp/tb/7295165
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 自分を知ることから うおぉ >>

Ooishiです。もはや社会人です。このブログ記事は、私個人にのみ帰属するものです。なぁんちゃって。
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索
memo
最新の記事
記事ランキング
最新のコメント
以前の記事
カテゴリ