広島に来てから、三回目の日曜日。
更新が滞っているので、さぞかし忙しいのだろうな、と思ってくれる人もいるかもしれないけど、単にネット環境が整ってないだけです。。。
携帯から更新するのは、ストレスフルで、三行目にして、諦めたくなってきた。
けど、頑張って更新。
今日も、元安川沿いに走ってきた。
原爆ドームの辺りも走ってきた。
なんとなく意外だったのは、夜の原爆ドームの周り(というか元安川沿い)に、人が結構いることであった。
数人で楽しそうに話していたり、大部分はカップルであった。
なんというか、当たり前のことなんだろうな、と思う。
そりゃ、川沿いで、ベンチがあれば、人もいるだろうと思う。
僕は、これまで、原爆ドームを二回見に来たことがあった。
広島大学を見学しにきた、高校生の頃と、大学院になってから、きっかわ嬢の家にみんなで遊びに来たときだった。
ここに来たとき、なんとなく、「厳粛にならなければいけない」感じがあったと、今になって思う。
もちろん、この建造物が発する威圧感みたいなものは他しかにあって、その感じたことから厳粛な気持ちになったということもあるけれど、なんとなく、そういう思い込みみたいなものがあったと思う。
だから、ここら辺で、楽しそうにしている人たちを見て、「あ、そうか、そうだよなぁ」と思った。
きっとここで暮らす人たちは、八月には、他の地域で暮らす人よりも、「原爆」という点において、考えさせられることが多いと思う。
けれども、だからといって、ずっとその事について考え続けている人ばかりではない。
笑いあったり、ふざけたり、喧嘩したりしている。
当たり前だね、ほんとに。
村上春樹の「ノルウェイの森」に緑という女の子が出てくる。
ある日緑は、寝たきりのお父さんの看病に関して、主人公の少年に愚痴る。
たまにお見舞いに来る親戚の人は、病院で食べるお昼があんまり喉を通らない。
一方で、緑は残さず食べる。
親戚の人は、それを見て、
緑ちゃん、よくたべられるわねぇ、わたしなんか、なんかお父さんを見たらむねがいっぱいで。
というようなことを言う。
それに緑は腹を立てている。
実際に色んな世話をして大変なのはわたしなのだ、と。
きちんと食べないと、体力が持たないのに、何を勝手なことを言っているのかと。
このワンシーンが、ふと帰ってきて水を飲んでいる僕の心の中に浮かんできた。