トモさんのご紹介に預かり、教育界でご活躍されている方を訪問。
どうも貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。
なんと元文部省事務次官の方です。
人はなぜ学ばなければならないのか。
一つには、「生きている」という実感を得るために学びが必要だからではないか、と思う。
(今日のお話とあんまり関係ないかもしれないですが。)
現代社会において苦しい状況は、毎日3時間睡眠で休みがなくて…とかいう「環境」よりも、
「何のためにやっているのかわからない」ことを、「やらされている」感覚だったり、
「何にもやってない」と思うことかもしれない。
守りに入るということ。目標が無いということ。
自分がどうしてもやりたいことがあって、寝食もままならず、他人から見たら「可哀相」と
思われる人でも、本人は至って「幸せ」な人もいる。
どうして幸せに感じられるのかといえば、そういう生活は確かに苦しいが、その困難を超えた
時の喜びや充実感には「生きている」という実感が伴うからなのかもしれない。
そして、「どうしてもやりたいこと候補」を見つけるのにも、「やりたいことを実現するパス」
も、「学び」無くしては実現し得ない。
「自分から学びたいと思える候補とたくさん出会う環境」、
「自分から学ぶ方法を身に付けること」
が必要とされていると思う。
今日の会にはトモさんのお知り合いの社会人の方も同席されていた。
その方が、
「教育ってみんな同じような問題意識を持ってるけど、いざ”誰がやるの”って言った時に誰も手を
挙げないんだよね。」
とおっしゃっていた。
教育は、誰しも何らかの形で受けて育つので問題意識は感じるが、身近すぎて「誰かがやるだろう」と思ってしまうということなのかもしれない。
あと、もう一つ思ったのは、自分が一々こういう場で硬くなってんなぁ、ということ。
多分面接とかでもこんな感じなんだろうな。
エントリーシートもそうだし。
硬いって事はなんか演じたり作ってるって事だから、もったいない。
その場で即座に捏造したものよりはまだましなものが自分の素のところにある気がするなぁ。
硬い硬い。