Communication

Speech is a joint game beween the talker and the listener against the forces of confusion. Unless both make the effort, interpersonal communication is quite hopeless.
Norbert Weiner
"The Human Use of Human Beings"


ある友人が言った。
「自分の思っていることを、何でも言える相手なんて、いないよな?」
そう聞かれたとき、(たしかにそうかもしれない。)と思った。
言えたとしても、この世には「言わなくてもいいこと」もたくさん存在するし、
言えたとしても、自分の伝えたいことの、一体何%が相手に伝わっているのだろうか。


ふと、昔、少人数の飲み会で、「普段人には言わないこと」を話し合った記憶が蘇った。

その内容はもちろんここに書くことはできないが、僕は今でも思い出すと、あの場にいられて、
あの人たちと友達でいられて良かった、と思う。

生まれて一日、一日と過ぎていく。
そうしてたどり着いた「ここ」とか、性格というか、「方針」みたいなものには、
普段意識しなくても「理由」があるときがある。
特に子どもの頃経験したり、感じたりしたことが、実は今の性格の根底になっていたりする。
そういう自分の”Origin”は、普段自分でもなかなか意識しないし、まして人に話す事もなかなか無い。

その時、話をしながら、自然に涙が出てきてしまった子がいた。
ずっとずっと、心の中に溜め込んでいた、何かが、溢れてきた、という感じの涙だった。
心の中にあるものを、そのまま外に出すことは出来ない、と僕は思う。
でも、その子の言葉から、話し口から、身振りや、手振りや、そして涙から、
その子の”門外不出の何か”を思いやってみることは出来る。
僕は、その能力をこそ、人間の、本当に優れた所なのではないかと思う。

”表現”の根底にあるのは、何かを共有したい、という想いだ。
そしてその何かを、そのままの形で表現する術を僕らは持っていないのだと思う。
小説も、絵画も、音楽も、その何かを写し取ったもので、またはその影で、
僕達はその周りを、ぐるぐる回って、輪郭を感じることしか出来ない。
しかし、同じような”何か”を持っていれば、それを参考に、自分の心の中で復元できるかもしれない。


「思ったことを、何でも言える相手なんて、いないよな。」
そうかもしれないし、そうではないかもしれないが、
とにかく僕らは歩き出さねばいけないし、
もしかしたら、”歩く”ということが”生きる”ということの一つの側面なのかもしれない。
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by ton2_net | 2009-04-25 00:25 | その他色々 | Trackback | Comments(0)
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